【第226回】 人生は60歳から

人生五十年というのは遠い昔のことになった。現在では100歳以上の日本人は4万人ほどいるというから、当時の2倍長く生きている人も大勢いることになる。

平均寿命も、女性は86歳、男性は79歳ということだから、これからの人は90歳、100歳まで生きることを前提にした人生設計を立てなければならない。60歳、65歳の定年で人生の終焉とせずに、その後の20、30年を有意義に生きるべきだろう。

定年もそうだが、人生にはいくつかの重要な転機があるようだ。例えば、女性は少女から女性になる時期であり、男性は中年から老年になる時期であろう。この転機は難しいといわれる。女性の場合は、仕事や趣味をもったりして、なんとか上手くやっているようだが、男性の場合は難しいようだ。バリバリ働いていた中年が退職して老年の仲間入りをすると、以前のように打ち込むものがなく、何も生産的なことをやらなくなってしまうので、人間味が失われて来ることになる。

合気道の稽古でも、少年、中年、老年と稽古の仕方と目的が変わるはずである。少年、中年、老年など人によって違うだろうが、人は一人で生きているわけでなく、社会の中で生きているので、ある程度はその枠組みに入れられてしまうことになる。私の大雑把な区分は、学校で勉強しているのが少年、働いているのが中年、退職したものが老年である。

開祖も言われたように、50,60歳はまだまだ洟垂れ小僧だろう。物事もそれほど深くはわからないはずである。合気道でも、これはと思うことを言われるのは、60歳以上、70歳近くになった方である。物事が真にわかるようになるには、長年一生懸命やることの他に、ある年齢を待たねばならないように思う。

60,65歳になると学校で勉強し、会社で働き、社会で生き、様々な経験をして、いちおうは人としての体験をすませ、自分の粗像が出来てくるようだ。自分は何処から来て、何処に行くのか。自分はなにものなのか。自分は何をすべきなのか等などが、ぼんやりと分かってくるようになる。

これと並行して、稽古でも合気道とは何か、どんな稽古をすべきなのか、何をすべきなのか等がだんだん解ってくる。これは、60歳以前では分かるのは難しいだろう。だから、開祖は60歳までを洟垂れ小僧と言っておられたのであろう。

自分の人生と合気道で真の目標が見えてきたならば、その目標に向かって進めばよい。それが道であり、合気の道となる。道にのれば真の合気道の修行が出来ることになる。

60歳で年を取ったからなどと考えずに、稽古にも生きるにも、これまでの経験と稽古の集積を土台にして、さらに真のものを求めるべく、新たな挑戦をして行きたいものである。

100歳まで生きられるとすれば、あと40年稽古ができることになる。60歳から再出発しても、十分道を楽しめることだろう。