【第225回】 社会への恩返し

世の中ますます余裕が無くなってきているようである。今は、時間にしても「分単位」で動いているし、人は「損得」で動いているので、少しでも損をしないように、得をするようにと考えて生きている。コンピュータや携帯電話が世の中に入り込み、仕事も家まで押しかけてくる。そして、人間までデジタル化してしまい、ものごとすべてを0と1、損と得で処理するようになってきた。

古事記や神道のような古い思想と繋がりのある武道でも、注意しないとデジタル化してしまう。強いか弱いか、上手いか下手か、損か得か、・・・等と0と1になっている。合気道こそはまさしく反デジタル文化であるはずなのに、注意しないと世の中の流れに流されてしまうことになる。

合気道の考え方の基本の一つは、表裏一体であり、勝ち負けもなく、強い弱いもなく、また受けだけ取りだけということもない。つまり、受けは攻撃(取り)に転ずるためのものであり、取りは受けの攻撃を受けないように万全の防御(受け)の体勢を保持しているものなので、受けは取り、取りは受けということになるのである。

世の中に余裕がなくなるということは、人に余裕がなくなることである。人が余裕を無くすというのは、自分のこと以外、または精々自分の家族や会社のことにしか興味を示さないということでもあろう。つまり、興味はだんだん狭められ、自分個人という点に向かっているようだ。しかし、今では家族さえ自分の敵としているものも増えて来ているようで、末恐ろしいかぎりである。

人は皆、いろいろの人達のお陰と助けによって生きている。直接お世話になる場合はそのことに気がつくだろうが、その直接お世話になった人もまた、他の人達のお世話になっているはずだから、自分も間接的にその人達にお世話になっていることになろう。そう考えると、すべての人は非常に細い糸かもしれないが、何らかの関係でつながり、助け合っているといえるかもしれない。

人は往々にして、自分一人の能力と努力で地位や知識や財力を得たのだとか、生きてきたと思いがちだ。しかし、一人だけではなにもできないし、生きることもできない。どんなに才能がある人でも、無人島や砂漠で一人で生きることはできない。

高齢になると人生の締めくくりを考えるようになるが、いい人生だったと思って終わりたいのではないだろうか。自分のやるべきことをやって、しめくくりたいと思うことだろう。人それぞれで違うだろうが、そのうちのひとつに、お世話になった社会に恩返しをすることがあるだろう。

江戸時代は封建制とか士農工商とか、現代よりも住みにくいように思われるが、現代より素晴らしいものも沢山あったようだ。そのひとつに、社会への恩返しを考えていた人が大勢いた、人間味があり、余裕のある社会ではなかったかということがある。

例えば、江戸時代の習慣として、偉い学者は、普通、自分の自宅を塾として自分の学問を若い人々に伝えていたようだ。それを彼らは社会への恩返しとしていたのである。蘭学者には、社会への恩返しをした学者がよく知られている。

例えば、大阪の蘭方医学者の中天游(なかてんゆう)、江戸第一の蘭方医学の大家の坪井信道(つぼいしんどう)、それに「適塾」を開いた緒方洪庵(おがたこうあん)(写真)などである。彼らは自分だけが儲けるということではなく、そこまで自分を育ててくれた社会に対して恩返しをしようとしたのである。

洪庵は自分自身と弟子たちへの戒めとして、十二カ条の訓戒を書いたが、その第一条に「医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけをかんがえよ。」とある。そして、この「適塾」からは、明治陸軍をつくった大村益次郎、慶応義塾大学の創設者の福沢諭吉等が出て、さらに社会に貢献していったのである。

緒方洪庵のようにできなくとも、自分達をここまで生かせてくれた社会に、その万分の一でも恩返しができたら素晴らしいだろう。

参考文献   『洪庵のたいまつ』(「小学国語5」) 司馬遼太郎