【第222回】 肩の痛み

年を取ってくると体にガタがくる。60年も、70年もつかっているわけだから、傷んでくるのも不思議はない。目が霞んでくるとか、歯がすり減ってガタガタになるとか、耳が遠くなるとか、また、膝が痛いとか、肩が痛いとか等である。
子供の頃や若い時は、虫歯で歯が痛いことはあっても、目が霞んだり、耳が聞こえにくかったり、膝や肩が痛いなどということはなかった。
痛みは、やはり老化によるのだろうか。

しかし、もし老化によるとしたら、誰でも年を取ってきたら体にガタがくることになるはずだし、体のすべての部位にガタがくるはずだ。だが、現実にはガタが来る、来ない、ガタの来るところや程度は人によって違っているわけだから、それをすべて老化で片づけては老化に申し訳ないと思う。老化に責任を押し付けて自分の責任を逃れているようにも思える。

とりわけ人が責任逃れをしていると思われるのは、肩の痛みである。
所謂、40肩、50肩と言われるもので、腕が痛くて上がらなくなるものである。
40肩、50肩と言う言葉があるぐらいだから、40、50歳代の一般の人にも多いわけだが、体を鍛える為に合気道の稽古に通っている稽古人にも意外と多いのである。
合気道は体のことが分からないと、技が上手く遣えないので、体に関する知識は、稽古をしていない一般の人よりあるはずなのに、一般人と同じように、肩が痛いといって嘆いている稽古人が多いのは残念である。

肩が痛いというのは、長年遣ってきた肩が疲労し、肩のところの潤滑油が切れたり、骨が磨耗したり、炎症を起こすことだろう。
これは腕を、手先から上腕(二の腕)までを腕として遣うので、肩が支点となるため、肩に負担がかかり、起こるものである。特に重いものを持つ場合、肩に大きな負担が掛かってしまうし、また、それを続けると肩に痛みを覚えるようになることになる。
若い内は、多少痛くても根性で稽古を続ければ、その肩の痛みも取れることもあるようだが、年を取ってくるとそれは通用しない。

肩が痛むには原因があるし、その解決方法もある。
年を取ってきたら、若い時の根性論は忘れて、やるべきことをやっていかなければならない。さもないと痛みで稽古を続けることが出来なくなることになる。
合気道の稽古では、手を遣って技をかけるし、70〜80キログラムの相手を投げたり抑えたりするわけだが、正しい手の遣い方をしなければ、技は上手く掛からないだけでなく、力も出ないし、肩を痛めることになる。
まず、手や腕はどこかを確認しなければならない。

手(大きな意味の手、腕ともいう)は指、手(狭い意味)、前腕、上腕そして肩甲骨までで、手(腕)を肩の高さで伸ばすと。手先から胸鎖関節まで一本となるが、これが手である。つまり、手を最も長く遣う場合は、支点は胸鎖関節となる。これを途中の肩を支点として遣っていたから肩を痛めてしまったのである。

長年にわたって肩を支点とした手の遣い方をしてきたものを、肩甲骨や胸鎖関節を支点とする遣い方に換えるのは難しいかもしれない。しかし、やれば誰にでも出来る。体はそう遣うように出来ているから。

私は、この手を動かすときの支点を、肩から胸鎖関節や肩甲骨に移すことを「肩を貫く」と言っている。肩が抜ければ、肩の痛みは取れると信じている。
それでは「肩を貫く」ためにはどうすればいいかといいと、「肩を貫く」ということは、手先や二の腕の上腕と肩甲骨を繋げて遣うことであるから、この二つを繋げる練習をすればいい。
通常の状態では、上腕と肩甲骨は繋がらないから、それを繋げるように訓練しなければならない。

@ まず、指先を真上に向け、手を自分の頭の真上、正中線上に上がる所まであげる。

A 手が上がりきったところで、手先はそのままでなるべく動かさないようにし、脇を横に開く。
ここで肩のロックがはずれ、腕と肩甲骨がむすぶ。

B そこから指先を更に真上に上げる。指先は更に10〜20cmほど上に伸びる。
これで腕と肩甲骨が繋がり、一本の長い手になったわけである。

C この一本の長い手を、正中線に沿って切り落とす。
これで肩に負担をかけずに手がおりるはずである。

これを何度も稽古することで、肩甲骨が柔軟に動くようになり、肩の負担が減るので、肩の痛みがなくなるはずである。また、肩甲骨を遣うことにより大きな力が出るようになるので、技も楽に掛けることができるようになる。

この正面打ちの稽古に慣れてきたら、これを横面打ちでやるといい。正面打ちより脇が広がり易いので、腕が肩甲骨と結ぶ感覚が掴みやすい。

まずはこれを一人で稽古をし、それが出来るようになったら、今度は相対稽古での正面打ちや横面打ちも、肩を支点に打つのではなく、一度、脇を拡げて、肩を貫いて打つようにすればいい。
そうすれば、肩の痛みから抜け出すことができるはずだ。

これで肩の痛みは老化だけの責任でないことが分かるだろう。