【第215回】 子供ファクター

年を取ってくると、頭がどうも硬くなってくるようだ。学校に入る前頃までは、頭は柔らかい。人の話を疑うことなく、目を輝かして聞いているし、草花や虫を飽くことなく見ている。

学校や会社のような組織社会に身をおくようになると、自分にプラスになると思われるものだけに目や耳を傾けるし、人の話は先ずは疑うか、否定してかかるようになる。そうして年を重ねるにつれて、自分達の身を守るため、競争に勝つために、ガードがますます硬くなり、頭はどんどん固まり、体もそれにつれて硬くなってくる。

合気道の稽古でも、体を動かさなくなるし、頭も使わないようになってくる。固定観念でしか物事を考えられなくなり、自分の考えや、やることはすべて正しいと思ったり、思わせようとするようになってくる。

人は大人になっても、大人の部分と子供の部分の両方をもっているはずである。その比重は人によっても違うが、自分の中のその比重を変えることも出来ると思う。

年を取ってくると子供に帰るといわれるように、年を取ればとるほど子供に帰る方が自然なようだ。定年になって、ビジネスの世界から引退したのに、株がどうの、不動産がどうのと、大人のファクターを使っているのを見るよりは、子供と遊んだり、自然を楽しんでいる、浮世離れした子供ファクターの高齢者を見る方がよい。

物事を創造したり、感動するためには、頭が柔らかくなければならないだろう。合気道は創造の武道であるといえる。自分の体に技を創造し、自分をつくり上げていくからである。

創造していくためには、感動がなければならないだろう。宇宙の営みと思われる宇宙の法則に触れた時、感動があるはずだが、それがなければ、単調でつまらない稽古になってしまうことになるだろう。

合気道の稽古では、すぐれた感受性と創造性を養うことが大事になろう。そのためには、柔らかい頭、子供の心(子供ファクター)を養うことであろう。 司馬遼太郎は「すぐれた感受性や創造性は、その人格の中の大人の部分がうけもつのではなくて、子供の部分がうけもつものだと私は思っている。」と『司馬遼太郎の考えること』の中で書いている。正しくその通りだと思う。

子供ファクターとは、純粋ということだろう。世俗の損得とか名誉とかと関係なく、自然に感動し、宇宙生成化育の為に創造し、自分を昇華させていくことだろう。合気道の稽古も、更なる感受性と創造のためにも子供ファクターでやっていきたいものである。