【第214回】 二度目の岩戸開き

今の若者は草食系動物などと言われ、あまり出世したいとは思わないし、金儲けにも積極的になれないし、海外への留学や赴任もあまり興味ないといわれる。これまでの大人たちを見て育ち、自分たちはそうなりたくないし、別な生き方をしたいと考えるのだろう。若者だけでなく、日本人の価値観や人生観が変わりつつあるように思われる。

日本も豊かになって、今では行こうと思えば、誰でも容易に海外旅行に行けるようになった。旅行社の企画するツアーで行けば安くて安心して行けるし、行けば感動も大きい。とりわけ初めての海外旅行は、誰でも感激するものだ。見るもの食べるものに、驚いたり、感激したりする。所変われば変わるものだから、いろいろな国や地域に行くのである。しかし、二度三度となるに従い、感激は薄くなる。特に、同じところに行くと、その傾向は顕著であろう。

ましてや今はインターネットやテレビや映画で世界の隅々まで紹介されているから、日本にいても世界中を旅できる。若者がわざわざ海外に行きたいと思わないのもわかる。海外旅行離れである。

今の海外旅行、とりわけツアーは、その国や土地のモノを見て歩く、モノ主体の旅といえる。モノなどどこもそう変わりはないし、インターネットや本・雑誌でも観ることができる。これが海外旅行離れを起こし、豊富な情報の中にある若者に興味を失わせていると考える。

今の海外旅行には、心(魂)が欠けていると思う。例えば、訪れる国や地方の人達と、心の交流がないようだ。海外旅行をして、その国の人達の考え方、モノの見方、人生観、価値観などのソフトを得ることができ、また、日本のそれを相手側に伝えたり、話し合いができ、心が通じ合うならば、若者も観光客も海外に出たいと思うだろう。ソフトがハードに優先する旅である。それには、お金を持って行くより、語学を身につけ、日本のことを勉強し、自分の価値観を深めることが大事になるだろう。

事業や仕事のやり方も、これまでのようにモノや金を得るために、人の心を踏みつけたり、家族や自分を犠牲にするモノ中心の魄のやり方ではなく、人に満足や感動を与えた見返りとして、その報酬を受けるというように、変わっていかなければならないだろう。つまり、魄の仕事から魂の仕事へ、魂が魄に優先するやり方である。そうでなければ、若者や優秀な人達が魄の事業や仕事、そして社会から離れていってしまうのではないだろうか。

合気道の稽古も、先ずは魂(心)を育てる体(魄)を鍛えなければならないが、次は体力をつけるだけでなく、気持ちや精神や心を主体的に練る稽古をしていかなければならない。そして、自分の心(魂)が体の上にきて、体をコントロールするようにならなければならないだろう。

開祖は、二度目の岩戸開きをしなければならないと言われた。一度目の岩戸開きは、天照大御神が建速須佐之男が暴れたために岩戸に隠れてしまったのを、神々が協力して岩戸から天照大御神をお出ししたことである。そして、今こそ二度目の岩戸開きが必要だといわれるのである。

開祖は、魄の上に魂がくるようにしなければならないとも言われている。魄とはモノなど見えるものであり、魂とは心など見えないものということができるだろう。もう少し深いところでは、魄は意識で、魂は無意識であるのかも知れない。

力の強い者やモノをもっている者が、そうでない者を牛耳ったり、見えるものを追い求めたりすることが主体の時代は終わらなければならない。人はモノや魄では満足できなくなってきており、こころ(魂)の満足や安らぎを求めている。感動を求めている。

心(魂)がモノ(魄)に優先すること、これが二度目の岩戸開きということであろう。まずは合気道で、魄(体力、パワー)に頼らない、魂(心、精神、意識)の稽古をし、魂が魄の上にくる、自分の岩戸開きをしなければならない。