【第210回】 出来あがったら終わり

長年稽古を続けて、年を取って高齢になってくると、いつの間にか古参の稽古人になっている。周りの稽古人は、ほとんどが自分より新しく入門し、稽古年数も少なく、年も若い人たちということになってくる。

長年、稽古を続けているわけだから、力も多少ついているだろうし、いろいろとコツも知っていることになる。後輩たちがやっていることが未熟に見えたり、技や体遣いの誤りが見えたりするようになる。後輩から教えを乞われることもあるだろう。そうすると自分が強く、上手くなったような錯覚を持ってしまいがちである。

人はどうしても、周りの人たちと比べながら生きる習性があるようだ。他人や後輩と比べて、安心したり、満足したりするようである。事実はどうであれ、体も出来てきて、技も出来るようになってくると、満足してしまうようである。そうなると、それまでのように、自分を鍛えることもしなくなり、体も頭もそのまま固まっていくことになる。

合気道の修行に終わりはない。技の練磨に完成はない。合気道を修行するものは、このことを肝に銘じ、稽古を続けて行かなければならない。

いくら長年やったからといって、固まってしまってはいけない。なぜならば、宇宙は動いているからである。宇宙で創生されるすべてのものが、動いているのである。それも、すべてのものは何かに向かって動いているはずである。宇宙生成化育で、宇宙楽園建設を目指して動いているのである。固まって、止まってしまうことは、宇宙の意思に反し、不自然ということになる。

他人はどうであれ、自分は変わっていかなければならないはずである。宇宙が目指している方向に変わっていけば、進歩・上達しているということになる。その目標に少しでも近づくことができるように稽古をし、生きていかなければならない。それを、道を進むというのだろう。これが、合気の道、つまり合気道である。

合気の道は、他人と比べたり、手を取り合って進む道ではない。一人で一歩一歩進む、孤独な道である。しかし、宇宙生成化育と共にあると思えば孤独ではなくなるだろう。

出来あがって、道のはずれで眠り込んでしまっては、修行を中断したことになる。それでは、宇宙に叱られるだろう。どんなに上手になっても、出来あがらずに、修行を続けなければならない。開祖がそうしたように。