【第208回】 稽古に感謝

最近は、稽古が出来ることに対して、ますます感謝するようになった。とりわけ稽古が終って、道場から仲間と一緒に帰るときは、その感が強い。今日も稽古に来ることが出来たこと、怪我も事故もなく稽古を終えることが出来たこと、爽快な汗がかけたことなどに感謝している。特に、新しい発見があったり、それまで出来なかったことが出来たなどの稽古には、大いなる感謝をしている。

若いうちは、稽古に通うこと等当然であると思っていたし、いつでも、そしていつまでも稽古はできると思っていたから、そんなことを意識もしなかったものだ。

本部道場には少年部とか幼年部のような子供の稽古時間があるが、ここに稽古に来る子供たちの大半は親の希望によるものではないかと思える。中には本当に合気道が好きな子もいるだろうが、多くは親から尻を叩かれながらきているのではないだろうか。そうだとしたら、子どもたちは稽古ができたことに感謝などしないだろう。

稽古ができたことに対して感謝するようになるには、その内に年をとってきていつか稽古が出来なくなるだろうとか、何か事情が変わることによって、稽古を中断しなければなるかもしれない等と思うようになってからだろう。いつまでもできるとか、他人に尻を叩かれるからとか、また、稽古ができるのを当然と思って稽古をしているうちは、感謝の念など起きないだろう。

稽古に感謝など必要ないかもしれないし、感謝などしなくても稽古は続けられる。しかし、稽古に感謝をするしないでは、稽古の重みが違うような気がする。ただ空気のようにさらっとやっているのでは、残るものは少ない。感謝することは、時間を稽古にもう一度戻すことであるし、稽古にくるまでの周辺環境を見つめ直すことである。家庭が平穏無事なこと、会社や仕事も上手くいっていること、健康で怪我などがなかったこと等などにも感謝することにもなる。そして、この感謝をすることによって、家庭をもっと大事にしよう、仕事も頑張ろう、身体を大事にしよう、そして稽古も頑張ろうと思うものだ。

感謝は自分を見つめ、自分の周辺を見つめることでもある。稽古での自分の技も見つめることになる。従って、感謝は稽古にも大いに役立つし、必要ではないかと考える。稽古に感謝をするようになることが、合気道での高齢者ということかもしれない。