【第198回】 高齢者の業

武道に若者も高齢者もないだろうが、若者が高齢者のような稽古をしたり、また逆に高齢者が若者のような稽古をしていると、何か不自然に見える。若者は若者らしく、高齢者は高齢者らしく、という稽古の法則のようなものがあるのではないかと思う。

若者は基本的には力いっぱい力を出し、技を掛け、受け身を取っていけばよい。一生懸命やれば自分の得意なものが分かるし、それをのばすことができることになる。

また、相手にぶつかって体と気持ちを鍛えていかなければならない。あまり細かいことを頭で考えず、体で覚えていくことが大事である。技はともかく、どんな人の受け身も取れるようになればよいだろう。若いうちに自分の身体の限界を知るべきであろう。

高齢者といっても、いろいろある。長年稽古を積んできている人もいるし、稽古を始めたばかりの初心者もいる。だが、技の形を覚える必要のある初心者ならば、若者も高齢者もあまり違いがないと思うし、稽古の方法を変える必要もないだろう。だから、ここでは長年稽古をしてきた高齢者を対象に考えてみよう。

若者が力一杯稽古をして心身を鍛え、技を覚え、得意技を身につけていき、自分を大きく、強くしていくのを主な稽古の目標にしているのに反し、高齢者は自分の稽古や生活で培ってきたものを如何に効率よく無理なく統合活用するかが、稽古の主体になるべきであろう。

高齢者の理想の稽古を一言でいえば、「無理のない稽古」である。自然な宇宙の法則にあった稽古ということになろう。若者の稽古は、相手を対象に据え、体で覚える稽古ということになるだろうから、どうしても「無理な稽古」になりがちである。高齢者になってくると、その「無理な稽古」から脱し、どういうことが無理なのか、どこから先が無理なのかが、分かるようにならなければならないだろう。

では、高齢者が目指すべく無理のない稽古とはどんなものだろうか。
「無理のない稽古」とは、「無理のない業」ということになるだろう。いろいろあるだろうが、最低の心掛けるべきことを幾つか挙げてみたいと思う。

結び:
○まず相手と結び(相手を殺し)、相手と一つになってから動く(引力の養成)
手遣い:
○初めに手先からではなく腰腹から動かす
○肩を貫いて長い手を遣う
○手、体は直線でなく螺旋で遣う
○手は体の中心で遣う
足遣い:
○足の動きを止めない。
○技を納めるまでは足は左右陰陽で規則的に遣う
表を遣う:
○体の表を遣う
息遣い:
○正しい息遣いとその息に合わせて動く(「生産び」)
理想としては:
○相手が自ら喜んで倒れるようにする 
○相手の力を利用する

つまり高齢者の業とは、合気道の稽古で追及している体の遣い方であり業ということになるだろう。

高齢者の目指す稽古は、宇宙の法則に則った業を追及し、少しでもその法則に近づくべく、少しでも無理のない業を追及することではないだろうか。そして、少しでも長く稽古を続けて、後進に合気道の素晴らしい遺産を残すことであろう。