【第194回】 見かけではない

今の社会は視覚社会、今の文明は視覚文明、といえるのではないだろうか。すべて見てくれが最重要であり、いい悪いの判断は、まず見てくれの視覚による。見てくれのよいものはよいモノであり、そうでないものは悪いものになる。リンゴは真っ赤で形がよく、粒が揃っているものがよく、視覚以外の味や養分や安全性などは二の次である。他の果物や野菜でも、同じことが言えるだろう。作る方でも、少しでも見てくれのよいものを作るようになり、味や養分や安全性など軽視するようになる。服装や家屋や車等なども、見かけが優先しているように思える。その上、人間も同じとも言えよう。

「美」は大事である。いつの時代、どの世界でもそれは飽くなく追求、研究、努力されている永遠のテーマである。しかし、見てくれだけの「美」は、欠陥の美である。重要なファクターを無視したり、欠いていたのでは本当の美ではない。「美」は必要な要素を含有していなければならない。合気道の「美」とは、「真」と「善」を包含していなければならないから、「真」や「善」が欠ければ「美」にならないことになる。

去年のNHK紅白歌合戦に、イギリスのスーザン・ボイルさん(写真)が招待され、その美声を披露した。聞いた人は誰もが感動したことと思う。ボイルさんは昨年のイギリスのオーディッション番組でののど自慢で有名になったが、その様子がインターネットで世界中に放映され、9日間で1億回を超える視聴回数を記録、その後、一億枚のCDを売り上げた。このように彼女が注目されて有名になったのは、彼女の容姿と歌声のアンバランスからであろう。彼女の太った体型、年配でもじゃもじゃ髪の普通のおばさんの顔から、何故あのような高音の澄んだ美声が出るのか、想像も出来ないのである。

もし彼女がほっそりした美人だったら、あれほど審査員を驚かせ、世界中の人に感銘を与えなかったはずで、多分、ただの普通の歌い手になっただろう。

人は今、視覚文明に飽きてきて、見かけを信用しなくなってきたのではないだろか。外見で人やモノを判断したり、評価することに疑問を持ってきたのであろう。丁度そこにボイルさんが出現して、それを実証してくれたということではないだろうか。

この他にも、ボイルさんの出現は、どんな人にも他人にはない才能があるというメッセージを出したことにある。彼女のような普通の人にも、才能があるということである。世界中の普通の人に、自分にも何か才能があるはずだと思わせた筈である。

そしてもう一つ、誰でも自分の得意な才能が何時かは芽を出すということを示してくれたことである。世界中の人が、自分を出すチャンスが自分にもいつか来るのではないかとの希望を与えたことである。

ボイルさんは歌の練習はしたが、見かけをよくして人に認められようとはしなかったようである。世の中、まだまだ見かけにたよっているものが多い。テレビに出る芸能人などはその典型であろう。見かけよりも芸を磨く努力をしなければ、視覚文明はそろそろ終局を迎えようとしている訳だから、世の中に取り残されることになるだろう。

芸人は芸、リンゴは味と養分と安全、合気道は技の練磨の追及であろう。見かけではない。