【第19回】 変わることが大切

合気道は植芝盛平翁がつくられたものだが、開祖の合気道の技、稽古法などは初期と晩年では大きく変わっている。それは開祖の演武している写真やフィルムを見れば明らかである。開祖の技法の変革は時代とともに「剛、柔、流」と変わっていったと言える。私が入門した昭和37年頃はまだ首を絞めたり、羽交い絞めや当身を入れるという稽古や、あるいは「武道練習」に載っているような柔術系の技や技法がまだ残っており、自主稽古でも二教などで関節を鍛えるという「剛」の稽古であった。開祖もまだ力がみなぎっており、片手でもった杖を3〜4人の内弟子に押させてもビクともしなかった。しかし、開祖の技法は「剛」から「柔」、さらに神楽舞に見られるように「流」に変っていたのである。

開祖は「今日習ったことは忘れろ。」とよく言われていた。当時はその意味を理解できなかったが、開祖が「剛、柔、流」と変わっていったこと、合気道の稽古が気を練ることに重点を置いたこと等と関係するのだろう。

しかし、我々が力を抜いた「柔」の稽古をしているのを見つけられると、「触れたら倒れるような稽古はするな」と大目玉を食らったものである。つまり、まず「剛」の稽古をしっかりしろということだったのであろう。その頃は座り技をやっていると開祖は何も言われなかったので、座り技をよくやったものだが、道衣の下衣や袴がすぐに擦り切れるので、自分で三重以上にツギをあてて稽古をしていたものだ。

人は自分に合ったやり方が一番いいと考えて、それに固守し、他を受け入れることがなかなか出来ないようだ。しかし、一つのところで固まってしまっては、成長、発展がなくなってしまう。強いとか弱いとかは重要ではない。それはその時点での相対的なことである。もっと大きい驚きや興味や満足は、自分が変わっていくことである。一年ぶりに稽古をやって、以前思うように効かなかった技が効いたときの喜びは、自分が成長したことの確認ともなる。変わっていくということは、今まで出来なかったことができるようになったり、自分の目標に近づいたり、または新たな体験をするということであろう。変わることは自分への挑戦でもある。勇気をもって自分を変えていこう。