【第187回】 自分をつくることは、自分を消していくこと

若いころはやりたいことが360度近くに広がっていたものだが、年を取るにつれて、その角度がどんどん狭まってくる。年を取ればやりたいことは大体やったか、やりたくとも出来ないと観念するか、体力・気力が減退してやりたいことも無くなってくる等という理由と共に、自分のやりたいことや出来ること、やるべきこと等が決まってくるので、他のことには興味が失われるので、角度が小さくなることもあるだろう。

若い人たちでも世界的に活躍している人は大勢いるようだが、後世の歴史が証明するような、本当に人に感動を与え、人を納得させることができるのは、ある程度年を取ってからのことではないだろうか。もし若い人にもそういう人がいたとしても、年を取れば若い時のものより更に感動を与えられるはずである。

武道の世界では、若い時にどんなに優秀な人でも、達人は80歳以上、名人は90歳以上でなければ、その名称は貰えないと聞いている。人は才能だけではなく、どんなに才能があっても努力を長年続けなければ、本当によいものをつくりあげることはできないということだろう。

人を心の底から感動させる仕事と、それをつくり上げた人は、無時間、無国籍ということが出来るかもしれない。モーツアルトの「魔笛」はいつの時代、どこの国や地域の人が聞いても、感動させるだろうし、ピカソの絵も時代や国を超えて感動を与えるだろう。音楽でも絵画でも素晴らしいと言われるものは時代を超越し、また国を超越している。つまり、時間と空間を超越しているということである。

本当に感動を与えてくれる偉人たちは、学歴がどうの、国籍がどうの、金持ちか貧乏か等々関係がなく、仕事をしてきたし、その偉人の評価にもそのようなことは関係がない。逆に言うと、学歴、家柄、会社、地位、国籍、段などに頼ったり、当てにしていては、本当によい仕事はできないということではないだろうか。ということは、もし本当によい仕事をしようと思えば、前述の学歴、家柄、会社、地位、国籍、段など、本質的に不必要なものは消していき、本当にやりたいことだけに集中していくことであろう。

本当に大事と思われることが、自分の「使命」ということになるだろう。「使命」を果たすこととは、自分をつくることでもあるが、それは余分なものを削り落す、つまりは自分を消していくことでもある。これは合気道の技の練磨でも同じである。

消していって残ったものが、勝負である。それが、「使命」を果たすということであろう。自分の「使命」を果たしたと思うことができれば、人生の最後にも、よい人生を送れたと満足できるだろう。