【第177回】 直感

今、世界はまだ力の世界、物質優先の世界、若者の世界であると言われる。高齢者や老人が社会の隅に押しやられ、なかなか活躍が難しい世界と言える。

しかしながら、本当の「仕事」が出来るのは、昔も今も将来も、年を重ねた「大人」であると思う。ここでの本当の「仕事」というのは、感動を与える「仕事」をいっている。儲けたとか損したとか、勝った負けた等という表面的で短絡的なものではない。ビジネスで儲けたとか、スポーツで勝った等ではないのである。

歌舞伎やお能の役者などは、年を取れば取るほど、人を感動させるようになるものだ。合気道でも、若いうちは元気であるが、技をかけて相手に感動を与えることは難しい。感動を与えるためには、ある程度の稽古期間が必要であり、つまりは年を取ることになろう。

どんなに才能豊かな若者でも、今の自分に完全には満足していないはずである。明日は、一年後、十年後には、もっとよくなると信じて「仕事」をしているはずだ。もし今が最高だと思ったら、もはやその「仕事」を続ける意味がないのだから止めてしまうはずだが、そのような才人はあまりいないだろう。つまり、年を取った方がよい「仕事」が出来るに違いないと、若者自身もなんとなく知っているようである。

年を取ると、何がよい「仕事」をさせてくれるのか。

まず、若者より長く生きているので経験が豊かになる。経験が豊かになるということは、知識と知恵が蓄積され、多種多様の問題解決のための方程式を多く持ち、自信と度胸がついてくることになろう。

それにもう一つ、年配者にいい仕事させるのは、「直感力」といわれる。この「直感」は、若者より大人の方が優れているという。直感とは、感覚的に物事を瞬時に感じとることであり、いわば「感で答える」ことである。日常会話では直感を「勘」といっている。

人間は25歳ぐらいで成長が止まり、体も脳も安定するといわれるが、脳の一部はそれ以降も成長するという。成長する脳の部位は二か所あるらしい。ひとつは前頭葉。もう一つは大脳基底核であり、「直感」はこの大脳基底核から生じるらしいということである。(池谷裕二東大准教授)

「直感」によってよい「仕事」が出来たという話は、よく聞く。囲碁や将棋の名人戦でも、「理由はわからないが、ここに指せば勝つと確信した」などと言うことがある。下手な素人が碁盤や将棋盤を睨んでも、「直感」は働かないものである。従って「直感」は学習であり、本人の努力の賜物であろう。

この「直感」をつかさどる基底核は、さらに重要な役割を担っていることが分かっているという。それはコップのつかみ方、自転車の乗り方、歩き方などの体を動かす「やり方」に関連したプログラムを保存している脳部位であることである。そして、この「やり方」(方法記憶)には、重要な特徴がふたつあるという。

ひとつ目のポイントは、無意識かつ自動的、そして、それが正確だということ。例えば、箸の持ち方の高度な運動を、無意識の脳が自動的に、そして正確に計算してくれる。

二つ目の特徴は、一回やっただけでは覚えず、繰り返しの訓練によって身につくというのである。自転車やピアノの練習がそうである。合気道の技の稽古もそうだろう。

「直感」は、年齢とともに成長していくという。これに対して、「直感」のない若者は、理屈や理論に基づく「ひらめき」を大事にすることになる。だが、年を取ればますます「直感」をつかさどる基底核が発達し続けるというのだから、ここを鍛えていくのがよいだろう。

鍛えるためには、新しい動きにチャレンジして、その動きを繰り返すことであろう。合気道の稽古で言えば、基本技の微妙で繊細な動きを見つけ、それを繰り返し稽古していくことになろう。その稽古によって基底核が成長し、更に「直感」が働くようになると思う。

合気道も、「直感」で動けるようになると、一人前の「大人」なのかもしれない。孔子も、「七十にして心の欲する所(直感)に従えども矩をこえず」と言っている。開祖が、「合気道には形がない」といわれたのは、直感でやれるようにならなければならないということではないだろうか。

参考文献
  『単純な脳、複雑な私』(池谷裕二著) 朝日出版社
  『カラー 人体解剖学』(西村書店)