【第169回】 同じ人はいない。使命が違う。

地球には66億人以上の人が生活しているという。日本だけでも1億2千万人が住んでいる。そして、新しく生まれてきたり、死んでいくを繰り返している。 何かの意思によって、地球上に人類が出現し、新たに生まれ、死んでいくを繰り返しているようにも思える。

しかし、不思議なことに、まったく同じ人は二人といないのである。双子でも、多少は違っている。もし何かが人類をつくっているとしたら、同じものをつくる方が容易なはずである。人間が人間に近いロボットをつくる場合も、量産しようと思えば、全く同じロボットをつくるはずである。だから、まったく同じ人は二人といないということには、何か意味があるのではないだろうか。

人間は世界中に分散して生活している。それぞれの国で仕事をもったり、家庭をもって生きている。いろいろな職種の仕事に分かれ、それぞれのポストで一生懸命に働いている。中には会社を興したり、産業を創出する人がいたり、自分の仕事に無上の喜びをもって働いている人達がいるが、それは天性であり、天の使命ということができるかもしれない。

仕事以外の好きなことに、生きがいを感じている人も大勢いる。いろいろな分野、意外な分野で、物事に凝って一生懸命格闘している人達もいる。他の人が見れば、お金にはなりそうにないし、それほど面白いと思われないようなことを、真面目に淡々と一生懸命やっている姿を見ると、面白いし、感動し、ホッとする。何かに凝っている若者の姿にも心を打たれるが、高齢者がものに凝って一生懸命になっている姿には、大いに感動させられる。とりわけお金や慾や名誉などに関係なく淡々とやっている姿は、我々に何かを訴えているようにも思える。これが自分に与えられた使命で、それを淡々と果たしているだけであると言っているように思える。

若いうちから趣味を持ったり、何かに没頭する人は沢山いる。才能と運のある人は、それでお金を稼いだり、世に名を馳せる。しかし、多くの人たちはお金とか名誉に関係なく、その自分の好きなことをやり続けている。

本や新聞やテレビを見ていると、時々変わったことに凝って、楽しんで生きている人がいる。見ていると、人はいろいろな分野でいろいろなものに凝っていることが分かる。先日テレビで紹介されたのは、花菖蒲の育種家であった。花菖蒲を交配して、新しい花菖蒲をつくるのである。花菖蒲は1年手入れをするが、花が咲いて3日で散るという。3日の命のために、一年中世話をするのである。この人は恐らく生ある限り、花菖蒲のために生きていくことになるだろうから、別の見方をすれば、花菖蒲のために生れてきたということもできるのではないか。世の中にはそういう人が沢山いる、というより、そういう人たちで世の中が成り立っているようにも思える。

世の中には、とことん何かに凝っている人が大勢いる。そういう何かに凝ったりする人を、人は素晴らしい、羨ましいと思う。誰でも内心では、自分も何かに凝りたい、没頭できるものを持ちたいと思っているはずだ。何か自分に合ったものを持ったり、やったりしたいと思わない人はいないだろう。何かの事情で自分にこれはというものが持てない人は、きっと寂しい思いをしたり、後悔するのではないか。ということは、何かに凝るということは、何か大きなものの意思ではないだろうか。宗教的に言えば神、合気道的に言えば宇宙の意思とも言えよう。

何かに凝る、没頭する、集中してやるということは、その人に宇宙から与えられた使命というものかも知れない。同じ使命であっても、人が違えば出る結果は違う。これが宇宙生成化育には必要なのだろう。一人として同じでない人間が、各自の使命を果たす。我々合気道家は、合気道を精進することが使命であろう。その一人一人も、合気道を深く探求する人、合気道を通して別なことに役立てようとする人と、それぞれ皆違っている。

合気道を志すものは、ますます合気道に凝ろうではないか。多分、それが我々の使命だろうから。