【第164回】 自分を笑う

人は得てして他人を笑うものだが、自分に対してはなかなか笑わないものだ。自分はそんな馬鹿なことはしない、自分はそんなことは知っているよ、と威張っている。自分は変わらぬまま、相手を引き落とすことによって、自分が上であると思いたいのであろう。

特に、年配者になるとそれが目につくようだ。年を取ってくると、若者より長く生きているので経験も豊富だし、知識もあることになる。まだそんなに長く生きていない若者と比べて、威張ってもしょうがない。

よく自分を見つめれば、欠けているものがあることに気付き、可笑しいことが沢山あるはずである。まだまだ未完成であることが、わかるはずである。人生百年足らず、出来ることなどたかが知れている。完璧にできることなどない。多少の差があるだろうが、人にそれほど違いはないだろう。大事なことは他人との差でなく、自分がどうであるかであり、自分がどこまで行けるかである。

若い内は知識も経験も少ないので、失敗するのは当然であろうが、長年生きてきた者でも失敗することがある。そういうときでも、往々にして自分を笑うことに抵抗感があるようだ。笑うことによって、自分の存在や生き方を否定することになるかららしい。従って、自分に自信のない人は、自分をあまり笑わないようであるし、自信のある人は気持ちよく自分を笑い飛ばすことができる。笑ったことで自分が傷つくわけでもなく、本当に自分が可笑しいから笑えるのだろう。

自分の信じるものを見つけ、その目標に向かって生きていける時、その人の人生は幸せである。合気道で宇宙への道を見つけられるなら、それも幸せに違いない。そんな人が、子供でもできる簡単なことが出来ないとか、間違えたとき、自分でも笑ってしまうのではないだろうか。自分の価値観、世界観、人生観など高尚と思っているものとは、あまりにギャップがあるのが可笑しいのである。

他人との比較で笑うのではない。他人は自分を知る上での尺度である。尺度は基準であるから、変えてはならない。変えるのは自分でなければならない。他人は、笑う対象ではない。同行人である。仲良くし、お互いに楽しみ合うものである。 他人を笑わずに、自分を笑えるようになれば、一人前と言えるのかもしれない。自分を笑って楽しもう。