【第159回】 無駄なことをしない

若いときと年をとってからの稽古の仕方の大きな違いの一つは、若いうちはあまり考えずに、ただがむしゃらに体を動かすが、年を取ってくると体力、気力が落ちるせいか、そのがむしゃらさは無くなる反面、考えすぎる傾向があるようだ。若いうちは、頭で考えより先に、体が動いてしまうものである。

高齢になっての稽古と生き方の基本の一つは、今の流行語でいえば「省エネ」であろう。無駄をしないということである。しかし、もちろん必要なことはしなくてはならない。何をやるにもやるべきことがあるので、それをやらなければならないが、必要以外のことは出来るだけやらないことである。必要なことをやり、無駄がなければ完璧である。多過ぎもなく、少なくも無いということである。これを自然という。合気道の稽古でも、足など動くべきところは動くようにし、手足をバタバタするような無駄な動きを出来るだけ省くようにすることである。

無駄のない自然な状態が美しさであり、強さであり、説得力があるということである。この自然こそが、宇宙の営みであり、宇宙の法則ということになろう。

稽古だけでなく日常生活でも仕事でも、無駄をなくすように努めるようにしなければならない。高齢になればなるほど、無駄をしないことが必要になる。日常生活においては、残り少なくなってきている時間を無駄にしないようなエネルギーや時間の使い方をし、大事なことに的を絞っていかなければ、自分の本来やるべきこと、自分の使命、自分がやりたいこと等をやり遂げることはできないだろう。歩くのもおぼつかないないような高齢者同士で、株で損や得をした等と金銭に関わる話を自慢げにしているのを聞くと、不自然だし滑稽でもある。合気道の稽古においては、弱いものを苛めたり、力自慢をしているような無駄をやっている時間や余裕はないはずだ。高齢者はもっとやるべきことがあるはずである。

会社の仕事でも、若い頃は、問題の本質が見えずに、周りをぐるぐる無駄にまわるものだが、年を取ってくると、問題の本質を迅速に掴み、それまでの経験と知識と知恵でその最適な解決法を見つけ出すことが出来るようになってくる。ビジネスの世界で成功する人は、物事の本質(中心)を一瞬で掴み、その最適な対策をすかさず打ち出せるはずである。有能な人は、エネルギーも時間も無駄にしない。

合気の道を求める合気道の稽古でも、高齢になれば無駄をなくしていかなければならないだろう。無駄があれば道を間違えたり遠回りして、遅々として前へ進めないからである。わざ(技と業)でも、無駄を削ぎ落としていく稽古をしなければならない。若い頃は、新しい「わざ」を覚えるのが稽古だと思うだろうが、上級者や高齢者の稽古は、無駄を削ぎ落とすのが重要な稽古になると言えるだろう。新しいものを覚えるだけが、稽古ではない。無駄を削るのも捨てるのも、大事な稽古である。