【第148回】 主体的にやる

合気道の稽古は、汗をかき不純物を出し、世俗の悩みも忘れ、肉体的にも精神的にも禊ぎになるので、気持ちがよいものである。仕事に忙しくて体を動かす機会が少ないひとには、合気道はいい。

しかし、ひとは同じ状態に満足し続けることが出来ないようだ。体が動くようになれば、技を身につけたいと思うし、技が出来るようになれば、上手くなりたくなるだろう。また、上手くなれば、もっと上手くなりたくなるだろうし、健康になれば、長生きしたくなるだろう。宇宙が止まることがないように、宇宙の申し子である人類も、何かに向かって動かされているように思える。

宇宙は生成化育、修理固成に向かって進んでいるという。ひとはこの流れにのって生きていけるようだが、それだけでは満足できないようである。合気道の稽古にしても仕事にしても、成り行きに任せるだけでも、他人に言われるままにやっても、満足できないし、よい結果はでないものである。よい結果を出し、よい仕事をするためには、主体的にやらなければならないようだ。

脳溢血などで麻痺した体の機能回復のためのリハビリテーションで大事なことは、本人が主体的にやることだといわれる。成り行きにまかせたり、いやいややったり、介護士や家族から言われてやっているようでは、なかなか回復しないという。

人には、不思議な力が備わっていて、それを引き出すのが「やる気」だという。他からのものを待っていては、その力がでてこないというのである。この力が出ると、機能不全に陥った部位や器官の機能回復をしたり、早めたりするだけではなく、新しい回路をつくり、以前の機能を図ろうとするというのである。

合気道でも、主体的に稽古をすれば、摩訶不思議な力が出てきてくれるようである。これを開祖は、「武産合気の守護神『天の村雲九鬼さむはら竜王』」と言われたのではないかと考える。開祖は、この武産合気の守護神「天の村雲九鬼さむはら竜王」を、神界では、「速武産の大神」といい、その御名のなかに、私達が修業し、求める摩訶不思議の力の動きがはいっている、と言われているようだ。武産とは引力の練磨であるともいわれる。摩訶不思議な力の一つであるに違いない。引力の養成も、ただ漠然と稽古をしていては身に付かないものである。引力が身につくよう主体的に稽古しなければ、「速武産の大神」は応えてくれない。

合気道の稽古では、この摩訶不思議な力「武産合気の守護神『天の村雲九鬼さむはら竜王』」が出るように主体的な稽古をし、仕事でも、日常生活に於いても、各自の中にある摩訶不思議な力が出てくるよう、主体的に生きたいものである。