【第145回】 体からの言葉は強い

体は嘘をつかない。脳と口は嘘をつくが、体は正直である。無理して酷使すれば、悲鳴を上げるし、無理なく鍛えてやれば、筋肉がついたり、柔軟になり、気持ちがいいと教えてくれる。体のどこかが痛いということは、体からの正直なメッセージであるから、それに耳を傾け、その痛みが出た原因を調べ、その痛みが取れるようにしてやらなければ、体に失礼であろう。

体を通しての言葉、体から発せられる言葉は重いと言える。スポーツや武道で大成した人や一流の人の言う事には重みがあり、真実味があり、耳を傾けるし、納得しやすいし、感銘を受ける。開祖などはその典型と言えよう。開祖が話されていた言葉は、不謹慎ながら、当時はほとんど理解できなかったが覚えているのは、今にして思えば、開祖の話は口先からのものではなく、体から発せられたひびきが言葉になり、体が話しかけていたものと思う。それ故、開祖の話しは、当時ほとんど分からなかったが凄いと感じていたし、数十年後に開祖の言葉が思い出されるのは、頭や脳ではなく、体がそのひびきに感応していたからだろう。

合気道では、言ったことは出来なければならない。また、やったことは説明できるようにならなければならない。つまり、頭(脳)と体が結びつかなければならないということである。頭で分かって、口で言えても、体がそのように動かなければ、脳と体が結んだことにならず、出来たことにならず、不完全ということになる。

頭と体の結んだ人の話は勉強になる。その人の体の動きで、その人の言わんとすることが分かるし、その言葉を聞けば、その人がどのように体を遣おうとするかが分かる。一言の言葉も、一つの動きも勉強になるのである。

体が口ほど動かない人に、体が動かない分、頭と口を使ってそれをカバーしようとする人をよく見かける。体で出来ない分、口でカバーしようとすると、得てして底が浅く、信憑性に欠ける場合が多いようである。

高齢者は次世代に、日常生活からの知恵と、自分が修練して積み重ねた合気道を伝えていく義務があると考える。それを若者に伝えるためにも、少しでもレベルアップした技を身につけなければならないが、その身につけた最高のものを、口先ではなく、体のひびきから若者に伝えなくてはならないだろう。体の動きがレベルアップすればするほど、その程度に応じて若者は目を向けるだろうし、体のひびきが大きければ大きいほど、感応するだろう。そして、それを受け継いだ次世代の若者は、きっとその次の世代にも、体を通して引き継いでくれることだろう。

口で言わなくとも、体が語りかけるようになるまで修行をしたいものである。