【第130回】 惰性に陥らない

人間には怠け癖があるようだ。なるべく苦労したくないと思い、楽な方、楽な方へ行こうとする。そのために、交通が発達し、インスタント食品が出回り、ファストフードのチェーン店が盛況することになるのである。人はその便利なものにますます頼るようになり、今度はそれがないと生きられないとでもいうように、パニックに陥ってしまう。

電車が止まったとか、牛丼チェーン店で牛丼がなくなったとか、携帯電話を忘れたなどでパニックにならないためにも、原点を知っておくことである。原点というのは「それが無い状態の時点」である。

自分が移動することでも、食べることでも、習慣としての惰性でやるのではなく、時々原点に戻って考えたり、やってみることである。例えば、移動の原点は足であるから、電車や車で移動しているところを足で行って見ることである。予想以上の足の能力や有難さ、素晴らしさが分かると共に、普段あまり感じたこともない電車や車の有難さも分かるはずである。それには3、4時間かかるかも知れないが、一度歩いておけば、ストでも事故でもパニックになることはないだろう。

食べるものも、出来あいのものやファストフードもいいが、たまには「食べる」原点に帰って料理を作って食べるのがよいだろう。また、いつも奥さんが作ってくれる料理を食べるだけでなく、自分で作ってみるのもよい。出されたものをただむしゃむしゃ食べるだけなら、動物とかわりないことになる。料理を作るとはどういうことなのか、食べること、食とはどういうことなのか、一度は考えてみることも必要である。出来れば得意料理を二つ三つ作れるようにするとよいだろう。

飲食にもいろいろな考え方、哲学、理論があり、それを真剣に研究されている方々がいる。だが、水を沢山飲めという理論(西式健康法)と、水は飲むな(桜沢式食養法)という全く正反対のやり方があったりもする。どちらも正しいわけだが、両方をごちゃ混ぜにやるわけにもいかないだろう。また、自分に合わないことをやったら体を壊すことになってしまうだろう。理屈ではなくて、自分でやってみて、自分で決めるしかない。食べることも惰性に走らず、人間らしい食べ方をしたいものである。

時々原点に戻ることによって、ふだん何気なくやっていることに、重要な意味があることが分かってくる。ただなんとなく惰性で乗り物に乗って、会社にいったり、どこかに出かけたりするだけでは感じられないだろうが、乗り物と自分が結びついてくる。降りるときには「ありがとう」とお礼を言いたくなるような気持になる。食事も同じで、御礼、感謝をするようになるだろう。ただ惰性で食べていたのではつまらないし、食べ物に失礼である。お礼をいうぐらいにならなければならないだろう。

合気道の稽古でも、惰性でやってはいけない。惰性というのは「直線等速」ということだろう。直線上を等速でいくということである。「直線等速」の稽古をすれば楽だろうが、そこには驚きも感動もなくて、つまらないだろう。なぜならば、Y=aXという単純方程式の計算で、自分の先がすぐ分かってしまうからである。

また「技」としても、相手が即計算予測するので効き目がない。技は直線ではなく、円や螺旋で掛けなければならないからである。螺旋の動きに気を入れなければ力が出ないと、開祖は言われている。螺旋とは「非直線上の加速度」の動きといえるだろう。加速度がつくから大きな力が出る。非直線であるから相手とぶつからずに技になるのである。

稽古でも生活でも、惰性にならないためには、計算予測が不可能な非曲線上を加速度をつけて進むことであろう。今まで培った技や能力に磨きをかけ、飽くことなくどんどんレベルアップし、更に新たな次元に新たな目標を見つけ、それに向かってまた挑戦していくことではないだろうか。