【第126回】 自分を表現する

高齢者は長年に亘って、いろいろなことを経験、体験してきているものだ。だから、高齢者の心身には、いろいろなものが詰まっているわけである。定年退職していれば、時間的及び精神的な余裕もできるのだから、自分の中に貯まったものを何かの形で表現したくなるのではないだろうか。

人は、自分は何が出来るのか、どのように出来るのか等を知りたいと同時に、何とか自分を表現したいと思うものだ。だから、他人が何か素晴らしいことをやったり、見せてくれると羨ましいと思うし、自分も出来たらなあと思うのだろう。

高齢者になっても、自分が何かの形で自分を表現できないと寂しいことだろう。ただ黙って何もしなければ、他人に分かってもらえないだけでなく、これまでいろいろやってきたことは何だったのだろうと思い、自分の人生は何だったのかと疑問をもち、ますます落ち込んでしまい、老化を早めることになりかねない。

自分を表現するものは沢山ある。手近のところでは絵を描く、詩や俳句・短歌を作る、楽器を演奏する、文章を書く、武道や武術をする等々である。これらのものは、自分の人間性、思想、哲学、人生観などが表現できるものである。

合気道は自分を表現するには最適である。それまで鍛えた自分の体を使い、本で読んだこと、話に聞いたこと、体験したこと、考えたことなど、自分のそれまで蓄えたものを統合して「わざ」に表現でき、他人にぶつけることができるからである。そして自分がどういう状態にあるのか、どのぐらいのレベルにあるのか、どれだけ変わってきているのか等が分かる。自分が変わると、「わざ」が変わることも分かってくる。また「わざ」を変えるためには、自分を変えなければならないことになり、道場以外も大事な稽古になることになることも分かってくる。自分が変われば「わざ」も変わり、「わざ」が変わったときは、自分も変わっているという相関関係にある。そういう関係にあるものこそが「自分を表現する」ものということができるだろう。合気道はまさに「自分を表現」するものである。

自分を表現できるものが見つかれば、そのために時間や精力やお金を集中して使うようになり、他のことに惑わされることもなくなってくる。これまで学校や仕事で嫌々やっていたときと違い、見たことや聞いたことなど不思議なぐらいに思い出せるし、新しい考えも出てくる。これまで蓄積した過去のものと新たに仕入れるもので、「自分の表現」がどんどん変わって行く。明日はどう変わるか、来年は、どういう発見が自分にあって、自分がどう変わり、それがどう表現できるのか楽しみになり、少しでも長くそれに挑戦したいと思うので、長生きするよう努めることになる。50、60歳はこれがやっと分かりはじめる歳であり、これ以降が本当の「自分の表現」が出来るようになる歳ごろであり、そしてまた、それを洗練していくスタート時点だと思う。この研究と挑戦を続けて、100歳ぐらいになれば、自分で満足できるように「自分を表現できる」ようになるのではないかと希望している。