【第12回】 人生後半は社会のために

人生の過ごし方であるが、前半は迷わず自分のため、家庭のために一生懸命働くべきであろう。そこからいろいろなことを経験し、学び、知識を得、知恵をつけ、そして経済的な基盤を築くのである。経済的な基盤がなければ思ったこと、自分でやりたいことができないし、家族を幸せにすることもできない。
だが、定年を迎えたり、ある程度の経済力がついたら、今度は社会のため、国のため、世界のため、宇宙のために努めるべきである。
合気道では、先ず体力(魄)を鍛え、後に精神(魂)を鍛えて、魄を導けと教えている。

熟年になって、自分と家族のために十分な経済的な貯えをしたのに、まだ飽くことを知らぬように金儲けに走るのは、不自然でみっともないものである。日銀の総裁が株を買って儲けたというのは、立場上の行動の批判よりも、その底流にある飽くことなき金儲けへの批判であろう。年寄りの金儲けは昔から文学などでも批判されている。ディッケンズ作『クリスマス・キャロル』は、主人公であるけちなスクルージの、十分金がありながら金儲けばかり考える生き方への批判ではないだろうか。

マイクロソフト社の創業者、ビル・ゲーツ氏は米国第二位の金持ちになったが、マイクロソフト社を引退しビル&メリンダ・ゲーツ財団で慈善活動をするという。また、ウォーレン・バレット氏は世界第二位の富豪であるが、資産の大半である300億ドル(4兆3千億円)をこの財団に寄付するという。働く、金儲けをする、そして社会にそれを還元するという理想のパターンの一つだろう。また、銀幕の世界で有名を馳せたオードリー・ヘップバーンは、晩年はユニセフの親善大使として恵まれない人々のために尽した。

もし金持ちが自分だけのための金儲けに走り、社会に還元しなければ、貧富の差は更に拡大し、勝ち組と負け組が明確に別れ、敵対し合うようになり、負け組みは対抗上テロや革命などの急進的な手段をとる事にもなりかねない。また、負け組みは今の社会の仕組みに価値を置かないようになり、社会のルールを破壊するようなやけっぱちの行動に走ってしまうだろう。

金持ちになれるというのも、努力や才能にもよるだろうが、そこには必ず運もあるものである。運というのは、本人の才能や実力とは関係ないものである。金持ちはこのことを感謝するとともに、摩訶不思議な人間社会の仕組みに謙虚になるべきである。その感謝の気持ちも込めて、後年は社会に還元すべきであろう。人に恨まれて死ぬより、後々までも感謝された方が幸せではないだろうか。
世間が金持ちを評価するのは、貯めたお金を社会に還元するからである。ただ貯め込むだけなら恨まれるだけである。

合気道の稽古をするにも、ある程度の経済力がなければできない。お金、時間、そして体力が揃わなければ、稽古を続けられない。お金は大事である。
しかし、長年稽古を続けて高段者になれば、それまで学んだことを後輩や社会に還元すべきであろう。それでこそ、稽古が実ったということではないだろうか。