【第118回】 天の使命

今、社会は乱れてきている。特に、日本はひどくなってきた。世界第二の経済大国といわれるように、経済的には恵まれているはずだが、理由無しに人を殺したり、むやみに社会を混乱させるようなことが多い。戦後2、30年頃までの日本は貧しくて、食べることで精一杯だったため、食うに事欠いての犯罪はあったが、今のような非人道的な犯罪は少なかったように思う。ましてや、つい最近まで日本は世界で最も安全な国と言われていたのだ。それが今日のような状況になってしまったのは残念である。

これまで貧しかった国々が、経済的に発展してきている。彼らも経済的に豊になれば幸せになれると思い、豊かさを求めて一生懸命に頑張っている。しかし日本や他の先進諸国が経験したように、やがては経済も大事だが、それだけで満足できないことに気が付くであろう。そのとき、今の日本が経験している、豊かになったが故の犯罪や社会問題をもたないように祈りたいものだ。

確かに、ある程度の経済的な豊かさは必要である。食べなければ死んでしまうし、住む所、着るものがなければ生きていけない。しかし、いくら美味い物をたくさん食べても、いい家に住み、豪華な着物を着ても、人は満足出来ないもののようである。充分食べ、住む家、着るものに不自由しないのに、どうして気持ちが満たされず、満足できないのか、分かっていないのである。若者は敏感にそれを感じているようだ。そして、物を得ただけでは満足できないとしたら、何を求めて生きればいいのか迷っているのである。それを若者や社会に伝えることができるのは、経験を積んで、知恵があるはずの高齢者であろう。

人は悟りを求めている。悟るためには、自分を良く知ることであろう。自分がこの世に生を受けたのには、何か意味があるはずだと思えればよい。それは天の使命といえよう。それを感じることが出来れば、自分を大事にし、他人も社会も地球も大事にするはずである。

開祖は、「悟るということは、自分にあるので、自分の腹中をよく眺め、自分というものは何処から出てきたものであるか、また自分は何事をなすべきか、よく自分を知るということが自分に課せられた天の使命であります。」といわれている。 

「自分は何処から来て、何処へ行くのか、自分とは如何なるものなのか、自分は何を為すべきなのか」、これを知ることが、人に与えられた天からの使命であろう。これに答えられれば、満足できるはずである。本当の満足は、この天の使命に答えていくことにあるのではないだろうか。これを自分で実践し、若者や後進に伝えていきたいものである。