【第110回】 幽界に遊ぶ

合気道の相対稽古は、ほとんどの場合、道場でやるのが普通である。雑踏の中とか街とか、知らない他人の前でやったのでは、喧嘩でもしているのかと思われるだろうし、稽古も集中してできないだろう。道場と街中では、世界が全然ちがうのである。街中は現実の世界、顕界である。人が現実に生活し、厳しい生存競争を繰り広げている場である。物質文明の場である。物質文明を乗り越えて精神文明、魂を魄の上に来るようにしようとする合気道の稽古の場には、相応しくないのである。

道場は、街中とは次元が違う別世界である。それ故、道場に入るときは別世界に入るための儀式が必要であり、誰もが礼という儀式をして道場入りする。儀式の必要性を感じなかったり、儀式の意味が分からずに道場に入ったり、外の世界(顕界)を道場に持ち込んで稽古をしても、本当の稽古は出来ないだろう。 道場は、幽界と言える。道場に入って稽古をすると、それまでの会社の事、仕事の事、家の事、世間の出来事など忘れてしまう。稽古の後のこと、明日の予定、重大な約束などもすべて頭から消えてしまう。道場には世俗事がない。従って、道場でよく一緒に稽古をしたり、顔を合わせている人がどんな仕事をしているのか、結婚しているのか、子供がいるのかなど、私生活や家庭状況もほとんど知らないし、あまり関心もない。

また、道場で無我夢中で稽古をしていると、時間の経つのを忘れるし、時の流れの速度も変わってしまう。時には時間が止まったように感じるし、時には時間が瞬時に進んだりする。かつて、真夏の暑い日に先輩に投げられて受身を取っていたときには、相当受身を取ったのだから5分や10分は経ったろうと時計を見ても、分針が前と少しも変わっていなくて、「時計が止まっている」と思ったことも再三あった。また、逆に気持ちよく稽古をしているときの時間の早さは、それこそあっという間である。道場での時間の流れは、現実の世界のものと明らかに違っている。

道場では、世俗の事や時の経つのを忘れてしまう。道場は幽界である。お能を観ていると、世俗のことを忘れ、時間を忘れてしまう。だからリラックスするので眠くなる。お能は、現実の世界の顕界を離れて、幽界に遊ぶものであるからである。

合気道もまた、幽界に遊ぶものと言えるだろう。お能のように眠ることはできないし、眠る人もいないが、こころはお能を観ているように、世俗のことから開放され、時間から開放されてリラックスしているはずである。若いうちは幽界に遊ぶ合気道は難しいだろうが、高齢者になればできるはずである。高齢になったら、幽界に遊ぶ合気道をやりたいものである。