【第108回】 一日でも長く、一回でも多く

合気道はスポーツとは違い、今がすべてではない。今出来なくともいい。出来ないのは出来ないのだから、それは仕方がない。出来るようにしたければ、出来るように稽古をすればいい。そして、その内できるようになればいい。

人は得意、不得意があって、どんな人も万能ではない。だから、誰でも得意なものを更に伸ばし、不得意のものを無くすようにするために稽古をする。しかし、得意なものでも、これでいいというレベルには決して至らないし、やるべきことは無限にあるものだ。

やるべきことを少しでも多く見つけ、得意なものを更にレベルアップし、不得意なものを少しでも無くすためには、出来るだけ沢山稽古をするほかはない。どんなに有能なひとでも、短期間では出来ることは限られてしまう。鈍(ドン)なひとでも長年稽古をすれば、相当なところまではいく。

昔から武道の世界では、達人は80歳、名人は90歳の年齢にならないとそう呼ばれなかったというのは、上達するには修行の期間も重要であるということである。

今出来ないことも、最後にできればいい。もちろん、それ以前にも出来るだけ早く出来るようになればよいし、出来るようにしなければならない、と思う気持ちは大切である。しかし、稽古をすればするほど問題の壁は厚くなって、その問題を解くのは容易でなくなり、だんだん簡単に解決できなくなってくるものだ。時間がかかるのである。

稽古の目的は、得意なもののレベルアップや不得意なものを無くすことだけではない。これだけでも時間がかかるが、この他にも、人によって違うだろうが、例えば自分自身をより深く知りたいし、自分は何処から来て、何処にいくのかとか、宇宙の生成なども、少しでも知りたい気がする。

人は100年足らずしか生きられない。この範囲でしか修行はできないし、その範囲でしか物事は分からない。限界はあるが、出来ることに挑戦し、少しでも長く沢山稽古をし、秘密を知る努力をするしかないであろう。そのためには、一日でも長く、一回でも多くの稽古をすることが大切である。元気で長生きして、一日でも長く、一回でも多く、稽古を続けるようにしよう。