【第88回】 「やるべきこと」と「やってはいけないこと」

世の中忙しくなっているせいか、ますますせっかちに事を急ごうとするようになってきている。結果を出来るだけ早く出そうとか、やり方はどうであれ結果さえ良ければいいとか、それが高じると、間違ったことをやっても目的さえ達成できればいいと思うようになる。人をペテンにかけてお金を儲けるとか、カンニングして試験に合格するとか、合気道でも、相手を投げ飛ばしさえするばいいということになってしまうのだ。

お金は儲けるものではない。結果として、儲かるものだ。合気道の形稽古でも相手を倒すのではなく、相手が倒れるようにするのだ。いい仕事をして相手に喜んでもらい、満足してもらった結果、お金が入るわけである。いい仕事をしなければお金は入らないはずだし、合気道の形稽古でも、いい仕事のプロセスを踏まなければ相手は倒れない。いい仕事をしないで、人に満足してもらわないでお金を得ようとするから、警察のご厄介になったりすることになるし、稽古では争いになる。

よほど注意しないと、人はやるべきことをやらずに、やってはいけないことをやってしまうようだ。合気道の形稽古でも、やるべきことはやらずに、やってはいけないことをやってしまい勝ちである。

合気道の形稽古や「わざ」では、やるべきこと、やってはいけないことは、本来決まっているようだ。簡単に言えば、形や「わざ」は自然で理に適い、無理なく、そして宇宙の法則に則ってやらなければならない。自然に反した、理に合わない、宇宙の法則にないことは、やってはいけないようである。なぜならば、開祖が、自然や宇宙のこころやひびきを表すものが合気である、といわれているからである。

開祖がいわれていることは、自然や宇宙のこころであり、合気道を修行するものがやるべきことであろう。例えば、開祖は合気をするにあたって、まず「天の浮橋」に立たなければならないと言われる。まずやるべきことは、「天の浮橋」に立つということである。出来ない、分からないと思っても、逃げずに「公案」と思って、焦らず探求すべきであろう。

その他、やるべきこととやってはいけないことの例を思いつくまま幾つか挙げてみると、
@「わざ」の稽古の全体を通して

<やるべきこと>
〇 心をまるく体三面に開く
〇 気の体当たりと体の体当たり
〇 自分が宇宙の中心に立つ(天之御中主神になる)
<やってはいけないこと>
〇 相手の目を見ない
〇 後に退がらない
〇 相手の正面で「わざ」をかけない
〇 相手のまわりを回らない(自分が中心になって、相手にまわらせる)

A技の上で
<やるべきこと>
〇 まず相手と「むすぶ」
〇 技は、まず相手の体勢を崩してからかける
〇 手先と腹(腰)をしっかりむすぶ
〇 足先(踵とつま先)と腰をむすぶ
〇 手と足は同じ側が連動する(ナンバ)
〇 手足は陰陽で使う
〇 手(足、腰)は陽が極まったところで陰に返し、陰極まって陽になる
<やってはいけないこと>
〇 手で投げたり、手で決めない(足で崩して、決める)
〇 手を陽々で使わない(例えば、片方の手だけでは相手は崩れない)
〇 手足をバラバラに使わない(手足は同じ側が同時に動く)
〇 陽の手でやるところを陰の手でやらない(例、片手取り四方投げで、持たれている手で崩して技をかけるべきところを、他方の陰の手で掴んでやってはいけない)

B体の使い方
<やるべきこと>
〇 合気の体をつくる(関節のカスを取り、表の筋肉をつける等)
〇 肩を貫く
〇 体の表を使う
〇 体を面で使う(体三面といわれるように体は面でなければならない)
<やってはいけないこと>
〇 体を決してひねらない

など、幾らでも挙げられる。

「わざ」が上手くいかないのは、やるべきことをやらず、やってはいけないことをやってしまうことにあるともいえる。やるべきことを見つけ、それを自分の体に覚えこませ、やってはいけないことをやらないようにすることだ。この「やるべきことをやる」ことも難しいが、「やってはいけないこと」をやらないのは容易ではない。長年に亘って積み重なった癖なので、これを取り去るのは新しいことをやるより難しいからである。