【第72回】 一人稽古

合気道は言うに及ばず、すべての稽古事や習い事を始める場合は、まず基本の形から始めるものである。これは初心者の稽古である。基本の形というのは、初心者にもやりやすいものであるが、本当は奥深いものである。この基本の形の中には、基本的な体の使い方や考え方が凝縮されている。

従って、合気道もはじめは基本的な形と考え方を習うことになる。合気道の基本的な形は、一教、入身投げ、四方投げなどであり、基本的な考えとは、気と体の体当たり、争わない、他人の仕事(動き)を邪魔しない、宇宙の中心に立つ(相手のまわりを回らない)などである。

初心の稽古で、基本的な形を覚え、関節もしっかりしてきて、合気の身体ができてくると、だんだんと自分の得手不得手、強いところ、弱いところが分かってくる。例えば、手首の関節が弱い、腕が折れ曲がってしまう、力が弱い、下半身が弱い、バランスが崩れる、気おくれするなどの問題を自覚するのである。そこではじめて、これからの自分の稽古に必要なことが分かってくる。

弱いところ、欠けているところは各人が違うので、指導者が通常の稽古で教えるのは難しいだろうから、各自が各々、意識して稽古しなければならない。しかし、合気道の稽古の時間は、指導者が示した形をやらなければならないし、稽古相手の考え方、やり方も違うので、思うような稽古は難しく、集団の中では、自分の研究のための稽古には限界があるだろう。

自分の弱いところを補充したり、強いところを拡充するための稽古には、一人稽古が不可欠となる。達人、名人と言われた人、これはと思う先輩、同輩は必ず一人稽古をやっている。勿論、開祖もそうであるが、名人、達人達は一人稽古が主体で、道場での稽古は、自分の研究成果を試す場であったようだ。 この忙しい世の中で、週に数日、道場に通うだけでもやっとなのに、一人で自主稽古をするのは容易ではないかもしれない。しかしやらなければそれだけで終わってしまうことになる。

人が大きな喜びを得、満足できるもののひとつに、自分の成長がある。いままでどうしても出来なかったことができたり、分からなかったことが分かったりする時である。それが難問であればあるほど、また一生懸命に挑戦すればするほど、解けたとき、出来たときの喜びはそれなりに大きいものだ。稽古の最大の楽しみはここにあると思われる。この楽しみを味わうためには、一人稽古を毎日やるに如かずである。仲間と楽しくやるのもいいだろうが、武道の修行は本来、孤独なものであるはずだ。