【第667回】  浄めきよめ

合気道は禊ぎであるとも云われるように、浄めの武であると云えよう。
何を浄めるかというと、最終的には、宇宙である。「宇宙を浄め、清い清い世界の楽土建設のため、宇宙建国精神へのご奉仕」をするのである。
これが合気道の使命なのである。

このためには稽古を漫然とやっていては、使命は果たせないはずである。やるべき事をやらなければならない。
やるべきことは、先ず、己自身を浄めることである。
それは体の節々をときほごす準備をすることである。そのために合気道の技の形を稽古するのである。これは誰でもやっていることだが、意味をはき違えて稽古をしている者が多いようだ。

三元の体を浄めていかなければならない。まず、流体の血液である。血行が良くなるように、邪魔なカスを取り除くのである。これは稽古で動き、汗をかけばいい。次は、柔体の肉体であるが、これも合気道の技の形稽古でカスを取り去れば、肉体は浄まっていく。
最後の個体の骨であるが、これも稽古によって、浄らかで強靭な骨がつくられるはずである。

これから次に、六根の罪けがれをみそぎ淨めていかなければならない。「息を丸くはき、四角に引き、宇宙の妙精を身中にまるくめぐらし六根を淨め働かすのだ」と、大先生は言われている。
また、大先生は、「体の各器官を浄める。技によって生まれる気で、全身にめぐり各器官たる全六根を浄めるのでる。」と、体の各器官である六根を気で浄めると云われている。

六根とは、眼(げん)・耳(に)・鼻・舌・身・意の六つの器官である。この六根を浄めるのである。一般的には、眼を洗い、鼻を洗い、口をうがいし、身を清め、意を清めることになる。合気道の場合は、気(宇宙生命エネルギー)で浄めるのである。先ずは、稽古で気を生み出すよう、そして働かすようにしなければならない。
最も分かりやすいのは「身」かも知れない。手を掴ませたり、握らせたりする際、「身」が浄くなると、相手を良く感じるし、相手とくっつき、一体化できるようになる。これは生み出された気であることを感得するはずである。
また、眼が濁っていれば、相手や己の動きが観えない。心の眼を浄めるのである。だから眼を水で洗うだけでは不十分なのである。耳(に)・鼻・舌・身・意も同様に、物理的な浄めだけではなく、精神的な浄めでなければならない。

更に、合気道では、己だけではなく、相手も浄めなければならない。敵意や悪意がある稽古相手を浄めるのである。何で、どのようにすればいいかというと、大先生は、「愛があるから相手を淨めることができるのです」と云われている。愛で浄めるのである。愛とは、相手の立場に立ち、相手の事も考えて、相手のためにもなるよう、ウィンウィンになるようにすることであろう。

先ずはこれらを浄めねばならない。しかし、まだまだ浄めなければならないモノはあるようだ。例えば、気を浄める、魂を浄める等である。
宇宙を浄めるお手伝いをするまで、まだ道は遠い。