【第644回】  手先に体重を

合気道は魂の学びであるわけだから、そろそろ魂の学びの稽古に入りたいと思っている。魂の次元の稽古に入るのは容易でないが、何とかその中に入るために壁穴をあけようとしている。そして今、その壁穴となりそうなものが、「魄が下になり、魂が上、表になる」であろうと思い、その稽古に入っているところである。(詳細は、合気道の思想と技 第641回 「魂が魄の上になり、魄を導く」

以前も書いたように、「魄が下になり、魂が上、表になる」感覚は呼吸法で得やすいだろう。特に、片手取り呼吸法が最適のようで、これができると諸手取呼吸法、坐技呼吸法などでもできるようになるはずである。

魄が下になるというのは、体すなわち体重が下になるということでもあり、相手に引っ張られようが、上から押し付けられようが盤石な態勢であり、相手の体と一体化した態勢である。
そしてこの魄が下になった態勢、相手と一体化した態勢から、相手を導くわけであるが、ここからこれまでのように体の魄ではなく、心の魂で相手を導き、倒したり、抑えるのである。

合気道は剣の動きが多く取り入れられているので、相手と接触し、技を使う箇所は、手の平の手刀の部位が多くなる。呼吸法や片手取りなどでは手首を掴ませるので、手首を使うことにもなるが、手首は手刀の延長上にあり、手刀、厳密に言えば、手先のつかい方に掛かっていると思っている。

例えば、正面打ち一教や入身投げで、「魄が下になり、魂が上、表になる」ためには、手先に全体重が掛かるようにしなければならない。例え、相手の手にちょっと触れているようでも、そこには己の全体重を重くしたり軽くしたり自由自在に掛からなければならない。

しかし、手先に体重を掛け、自由自在に重さを調整するのは容易ではない。
そのためにはやるべき事がある。それは、

手を上げる際は、手全体を胸を開いて上げると書いた。これは有川定輝先生の教えであるが、何故、胸を開かなければならないのかを考えてみた。
まず、胸を開かないで、手だけを上げて下ろしても、手先に己の体重はのらないものである。精々、手自身の重さと腰腹からの部分的な力である。胸鎖関節を中心に、胸を開いて手を上げて下ろすと、手先に腰腹を通しての体重がのるのである。
これは、体が十字に機能するようにできているためと考える。(2.合気道の体をつくるの第643回『体も十字に働いている』参照)

手先に己の体重が掛かり、自由に制御できるようになると、心(気持ち)で相手を導くことが出来るようになる。これまでと違った感覚の稽古である。