【第628回】  失敗から学ぶ

合気道は相対での技の形稽古を繰り返しながら上達していく。
入門して初めの内は、素直に技を掛け、頑張らずに受けを取り合って稽古をしているが、段々と相手を倒して、自分は倒れないような稽古の方向になっていく。そして段々と頑張り合う稽古、腕力に頼る稽古になっていく。

しかし、ちょっとやそっとの腕力では、相手を投げたり、抑えるが難しいことが分かってくる。
実はここがここから先への稽古の一つの分岐点になる。そしてどの道を行くのかによって、上達するのか、現状維持か、または体を壊すなどの後退につながるわけである。

この時点で技が相手に効かないのは当然なのである。多少ついた腕力と覚え立ての形で、人を投げたり抑えること等には限界がある。はっきり言えば、形で人を投げたり抑えることは、誰がやっても不可能なのである。
稽古相手を投げたり抑える事ができるのは技である。宇宙の営みを形にした、法則に則った技でなければ上手くいかないのである。
また、腕力ではない呼吸力をつかわなければ、技は効かないのである。稽古を始めて数年の初心者には、それらがまだ不足しているわけだから、技が効かないのである。

上達するためには、上達とはどういうことなのかを、まず考えなければならない。初心者は、今まで同格だったり、上だった相手に、力や体力(スタミナ)に負けず、技(形)で倒すことができるようになることだと思うはずである。他人との比較である相対的な上達である。その相対的な比較の上達などあまり意味がない。レベルの低い相手やあまり稽古もしていない相手と比べても意味がない。自分が上達していなければ意味がないのである。
つまり、上達とは、自分がどれだけいい方向に変わったかということである。新しい発見があったとか、今まで出来なかったことが出来るようになったとか、解らなかったことが分かったという事である。これを相対的は上達に対して絶対的な上達といっていいだろう。
稽古はこの絶対的な上達を目指さなければならないはずである。

上達するためにやるべき事は沢山、謂ってみれば、無限にあるわけだが、何をどうすればいいのか、どのような稽古をすればいいのかが難しいはずである。
そこでその問題の最良の解決法の一つを紹介する。
それは、普段の道場での、相対の形稽古での、失敗から学ぶことである。相対で稽古をしていると、上手くいかない事がある。手を上げようとしても、相手にぶつかって押さえられ、上がらないとか、二教などを決めようとしても頑張られてしまう等々である。我々が外からそれを見ていると、上手くいかないのは当然なのだが、本人は気が付かないものである。ほんの一寸、体のつかい方や息のつかい方を変えればいいのだが、それに気が付かないし、その余裕がないのである
その時間にいい先生や指導者がいれば、注意したり助言を与えればいいだろうが、よほど精通していなければ助言や教えも難しいから、自分で何とかしなければならないことになる。特に、我々のような上級者になれば尚更である。

失敗したら、どうして上手くいかないのかを考える事である。例えば、諸手取呼吸法で抑えられてしまい、相手が倒れないとすれば、その原因を考える事である。恐らく、力不足、腕の折れ曲がり等に気が付くだろう。そうしたら、力が付くような鍛錬をするとか、腕が折れ曲がらないように鍛錬棒を振ること等を思いつくだろう。これがある程度できるようになってくれば、諸手取呼吸法は、前よりは少し上手くいくようになるだろう。
しかしまだまだ不十分のはずなので、更なる失敗はあるだろうから、その都度、その失敗の原因と、その対策を研究するのである。

最近分かってきたことは、失敗には必ず原因があり、従って解決策もあるということである。簡単に言えば、宇宙の法則に則っているかどうかということである。例えば、陰陽十字が初心者の失敗の基本的な原因であるので、陰陽十字で体と息をつかい、技をつかえばいい事になるのである。

初めは失敗から学んでいくのは難しいだろうが、それを習慣づければいい。そうすれば失敗にも感謝し、失敗させてくれた相手にも感謝するようになるはずである。
勿論、技が上手く効いて成功するのはもっと楽しいわけだから、成功するように稽古をすべきだが、失敗からも学んで楽しむべきだ。