【第623回】  修業は積み重ね

合気道は終わりのない、修業を一生続ける、一生ものである。修業は、毎日、時々刻々の積み重ねということになる。しかし、半世紀の修業を振り返ってみると、積み重ねてきたものは、ほんの薄紙一枚ほどのものであり、これまでの積み重ねの厚さは精々ボール紙程度であると感じる。

道場での相対稽古でも、昨日のものに、薄紙が一枚重なるように稽古をしなければならないことになる。薄紙でも一枚重なることは、昨日とは変わったことになり、この変わること、変化が修業には大事だと考える。何故ならば、変化することで、明日の自分とは変わり、来年、10年後の自分がどのように変わるのか、つまり、どれだけ上達するかが楽しみになるからである。逆に、自分が変わらなければ、明日も来年も変わらないわけだから、稽古をやっても意味がなくなるので、それなら修業を止めようという事になり、ちょっとした事を理由に止めてしまうことになるわけである。

自分が変わっていき、積み重ねの修業をするためには、明確な目標を持たなければならないと考える。そしてその目標と己を結んだところの道を進まなければならない。その為に自分への挑戦である修業・稽古をしなければならない。柔術やスポーツのように、相手に負けないための相対的なものではなく、自分に打ち勝っていく「絶対的な稽古」でなければならない。

明確な目標が定まれば、積み重ねの修業ができる。後は中抜きしたりしないよう、そして着実に積み重ねていくように修業をしていけばいい。積み重ねたものが崩れて、元の木阿弥にならないようにしなければならない。

それでは積み重ねていくものにはどんなものがあるか考えてみよう。これまで積み重ねてきたものを中心に挙げてみる。この後どんなものが積み重なっていくのかは、まだ自分でもわからないからである。

私の積み重ねが具体的にどうなっているかというと、10年前から書いてきた論文である。4つのテーマで毎週書いている。一つのテーマで600編だから、4テーマで2400編の積み重ねになる。
まだまだ段ボールほどの積み重ねにしかなっていないが、変わっていくのが楽しい。
修業は積み重ねであるが、修業の最後の最後が一番の積み重ねになる。その最後がどうなるのかが楽しみに、修業を積み重ねていくつもりである。