【第618回】  未来につながる稽古

合気道は技を錬磨しながら上達していく武道であるが、なかなか難しい。難しい理由は沢山あるが、その一つに、上達とは何か、何が上達なのか、上達は何でわかるか等が見えない事であろう。
入門した頃は、はじめは出来なかったかったことが、出来ていくから上達を実感でき、分かり易すかった。例えば、受け身が取れるようになる。初めは後ろに倒れるだけの受け身が、前受身ができるようになり、そして後ろ受身も取れるようになっていく。更に、跳び受身で、ほとんどの先輩の受け身がある程度取れるようになることである。

また、基本技の形、一教から五教、四方投げ、入身投げなどを繰り返し稽古していくことによって、身に着けていく。今まで出来なかった形が身に着けば、それで上達したことがわかるわけだし、嬉しくなるはずである。

入門して、20、30年はこのような目に見える上達であるが、段々と上達が見えなくなってくるものである。
人には上達する、進化する遺伝子が組み込まれているようで、誰でも上達したいと願っていると見ている。
稽古で上達が見えなくなってくると、本来の道から外れたことをしがちになるようだ。例えば、相対稽古の相手を制すればいいと思ってしまうのである。相手を決めたり、投げられれば、自分は上手いとか、上手くなったと思うのである。
これは明らかに間違いである。何故ならば、これは相対的な稽古であり、相手が弱いだけの話で、本人が上達したことによって決めたり、投げたりするのとは関係ない。
上達は己自身のことであり、絶対的なものである。

それではどのような稽古をすればいいのかということになるが、「未来につながる稽古」を提案したいと思う。
「未来につながる稽古」とは、今の稽古が次の次元の稽古につながっていくことで、次の次元の稽古に入ると、つながっていた前の稽古と比べて、上達したことが明らかになるものである。
具体的な例をひとつあげる。呼吸法である。
先ず、片手取り呼吸法を稽古するだろう。これだけでも難しいものである。どのようにすればいいのか分からないものである。だから、どうしても腕力でやるはずである。力をつかえばつかうほど相手を倒すことができるのだが、段々と力の限界が分かってくるはずである。
それがはっきり分かってくるのが、次の次元の諸手取呼吸法である。相手は二本の手でこちらの一本の手を掴んでくるわけだから、理論的に考えれば、これは己の一本の手にいくら力を込めても敵うわけがないとわかるはずである。
諸手取呼吸法で相手の二本の手に勝るものをつかわなければ、相手を制することはできない。それは何かというと体幹である。体幹の中心にある腰腹の力をつかえばいいということになる。

諸手取呼吸法で得た知恵で片手取り呼吸法をやれば、今度は上手くいくはずである。諸手よりも楽になるからである。
これは前後することになるが、片手取り呼吸法は諸手取呼吸法につながっていなければならないということである。

更にこの諸手取呼吸法がつながる未来の稽古は何かということになろう。
それは二人掛けの諸手取呼吸法である。諸手取呼吸法がある程度できるようになっても、二人掛けの諸手取呼吸法はそう簡単にはできないものである。いくら手先ではなく、体幹の力でやっても難しいものである。

二人掛けの諸手取呼吸法で相手を制するためには、こちらの腕を抑えている相手の力を抜かなければならない。相手の力が十分働いていれば、抑えられている腕など動くものではない。

相手が抑えている力を抜くのは息づかいである。イーと吐いて次にクーと息を引く時、手の平を思いっきり開き、気を発散させると相手は浮き上がってくる。どのぐらい浮き上がるかは、本人の能力によるから、稽古をして能力アップを図るほかない。

この二人掛けの諸手取呼吸法の息づかいで、前段階の諸手取呼吸法をやると、体幹だけに頼っていたときよりも上手くいくことになる。諸手取呼吸法が二人掛けの諸手取呼吸法につながったわけであり、諸手取呼吸法を二人掛けの諸手取呼吸法につなげて稽古をし続けて行けばいいことになる。

それでは諸手取呼吸法と二人掛けの諸手取呼吸法を今後はどのような稽古につなげていけばいいかを考えている。それは恐れ多い事であるが、開祖がやられていたことである。片手で持つ杖を横から押させて不動にすることである。(写真)

開祖に見つかれば、大目玉を頂くことになるが挑戦していく。

「未来につながる稽古」の例として呼吸法を取り上げたが、次回は別の例として「剣」で説明したいと思う。