【第609回】  しっかり掴ませ、しっかり打たす

習字には楷・行・草がある。そして楷書は真書であり正書であり、正格を表わすものだという。楷書は一点一画を正確に 書く書体である。書を上手になるには、まずは楷書をしっかり身に着けなければならないということである。また、絵でも、はじめはデッサンで正確な描写を身につけなければならない。何でも習い事は、対象物としっかり向き合い、正確をあらわさなければならない。
合気道には剛・柔・流の三元がある。体と技をこの三元の働きで遣うという事だろう。故に、はじめは習字でいう楷書の稽古である、剛の稽古が基本になるはずである。

剛の稽古とは、力一杯相手に掴ませ、打たせ、その力や勢いに負けたり、押し潰されないように、受け、技を掛け、相手を制していく稽古である。中々思うように動けないが、我慢して挑戦しなければならない。

かって大先生が、われわれ稽古人が剛の稽古をしないで、軽く触ったり、打ったりして、受けが跳んだり、ころがったりするのを見つけられると、「そんな触れたら跳ぶような稽古はするな」と烈火のごとく叱られたことを覚えている。
当時は大先生が何故、しっかりした剛の稽古をしないことにそれほど激怒されたのかは、よく分からなかったが、今、ようやくそれが分かってきた。

それは、剛の稽古でしっかり稽古をしないと、後の稽古に続かないし、後で苦労するということだったと拝察する。
実際、相手にしっかり掴ませた稽古をしていなければ、有段者になっても、片手取り小手返しや入身投げで、相手が掴んでいる手から己の手を離すことができないものだし、相手が打ってくる手に力負けして折れ曲がってしまい技にならない。

相手にしっかり掴ませ、しっかり打たす剛の稽古をしていくと、体がしっかりしてくる。特に手と腕がしっかりしてくる。そして手に引力がつき、相手の手や体にくっつき、相手と結びやすくなる。また、息とともに、相手を浮かせ、相手の重力を無くし、相手自ら倒れるようになる。
このためには腕が相当しっかりしなければならないので、諸手取り呼吸法とか剣や杖の素振りなどをしっかりやらなければならないだろう。

手や腕に力が出るということは、手先と腰腹が繋がり、腰腹の力が手先に集まるという事である。だから、手先に腰腹の力が集まるようになるまで剛の稽古をしなければならないということになる。

このような手や腕ができてくると、己の体の力の流れ、そして相手への力の流れが見えてくるようになる。更に、力の前に息(気)が働くことが見えてくる。これが魄(力)を土台に、魂(気)が魄の上になるということだと考えている。
つまり、開祖が激怒されたのは、しっかりした剛の稽古をしておかないと、魂の稽古ができない、魂の稽古へ進めないぞという戒めであり、また大先生の悲しみでもあっただろうと思うのである。

まずはしっかりした手をつくること。そのためには、はじめは、しっかりした手ができるような稽古をしなければならない。片手取りでも諸手取でも、正面打ちや横面打ちでも、しっかり掴ませ、そして打たせて稽古をしなければならないと考える。