【第605回】  止まらない、居つかない

合気道は形稽古を通して技を身につけ、技を練り上げていく武道である。只、形(かた)をなぞるだけでは意味がないし、害になる。何故ならば、形で相対の稽古相手を倒したり、決めようとするから、魄の力に頼り、それから抜け出すことが出来なくなり、またその内に、体を痛めることになるからである。

形は好き勝手、やりたい放題に変えることはご法度である。形は理合いでより完璧に近い形にすることと、技を詰め込んで密度の濃い形にすることであると考える。いずれも技を取得していくことによってしか出来ないものである。

技には法則性がある。合気道の技は宇宙の法則に則っているからである。陰陽や十字等であるが、その他にも「止まらない」「居つかない」という法則もあると思う。宇宙は138億年間、膨張しつづけていて、止まることはないし、天から降ってくる雨が途中で止まって、空中に留まってしまっているということもない。

技を掛けて、手や足の動きが止まったり、足が居ついてしまえば技にならない。相手とぶつかってしまっているので、そこからまた、新たな動きをしなければならないことになる。ここで隙ができるので、相手に返されたり、悪戯されてしまうことになる。

それでは、何故、足の動きが止まったり、足が居ついてしまうかということになる。
まず、手で技を掛けようとすることである。手を先につかうと、足と腰腹が動けなくなるからである。例えば、正面打ち一教で相手の打ってくる手を掴んでしまえば、居ついてしまうはずである。
まず、腰腹、次に足、それから手をつかわなければならないのである。

次に息づかいである。イクムスビの息に合わせて技をつかわないと、体は思うように働いてくれなので、足が居ついてしまうのである。特に、息を吐いて相手を投げよう、決めようとすると必ず居ついてしまう。典型的なのは二教裏であろう。
この息づかいに関連して、息に合わせて体を陰陽に遣わない事である。
また、手、足を右、左、右・・・と規則正しくつかわないからである。右左を規則正しく陰陽でつかわないと、己の足が止まると同時に相手の足も居ついてしまうものである。

更に、この息づかいと陰陽に加えて、体を十字につかわない事である。手の十字、足の十字、そして腰腹の十字になっていないことである。
特に、腰腹が十字に返らないと、相手と向き合ってしまう態勢になり、直線的な動きになるので、居つくことになる。居つかないためには、体、特に腰腹を十字、十字に返して、円の動きの技にすることである。

ここまで、止まらない、居つかないための稽古法を書いたが、主に体を中心にしたものである。しかしこの上がある。それは、息で技をつかうことである。
技は手で掛けるが、初めから手をつかったのでは上手くいかないことは、これまで書いてきた通りである。また、手の前に、足、足の前に腰腹をつかわなければならないとも書いた。だから、技は足で掛ける、そして更に腰腹で掛けるということになる。

しかし、この腰腹や足を動かすのは息であるから、技は息で掛ければいいことになる。息は肉体よりも自由につかうことが出来るので、息の方が体を止まらせたり、居つかせることもなくなる。息によって、技のイメージが保てるし、そのイメージで体の動きの軌跡を描くことも出来るのである。

これが気の流れに繋がり、気によって技をつかえば、止まったり、居つくことが更に少なくなるということになるはずである。今後の研究テーマである。