【第603回】  撞木(しゅもく)の足づかい

合気道は技を錬磨しながら精進する武道であるから、技を練りに練り上げていかなければ上達はない。技を練り上げて、「いい技」にしていくわけであるが、「いい技」とは宇宙の営みに合致する、宇宙と一体化する技と言えよう。完全には宇宙と一体化などできないだろうから、少しでもそれに近づくことである。宇宙の営みに近ければ近いほど「いい技」であり、それに近づくことが上達と云うことになろう。

「いい技」を創り出すためには、体も宇宙の営みに合うようにつかわなければならない。つまり、体を宇宙の法則に則ってつかうのである。これを一般的には自然というのだろう。宇宙の基準に照らし合わせて、欠けたモノはなく、また、余るモノもないということになる。

合気道の体づかい、足づかいの基本は撞木である、合気道の技はぶつかってぶつからないとか、入身転換、円の動きのめぐり合わせ等といわれているわけだが、そのためにはどうしても撞木で動く必要があるはずである。

初心者の技づかいでの足づかいを見ていると、撞木ではなく、バラバラや直線的に動いている。相手を押したり、ふっとばすにはいいだろうが、合気道にはならない。合気道にならないとは、相手と一つになって1+1=1にならず、争いになってしまうこと、また、武道としての力が出ない等ということである。

初心者の体づかいの共通する欠点のひとつが、己のお腹を、ほぼ常時、相手に向けていることである。所謂、四つに組んでいる態勢なのである。だから、相手と正面衝突する態勢となり、ぶつかってしまうのである。

そのことに気が付いてくると、何とかぶつからないようにと腹を返したり、足を動かしたりするようになるのだが、中々上手くいかないものである。
この時点では、体を捻ってつかっているのである。

撞木で動くためには、やるべきことを一つづつ身につけていかなければならない。左右の足を撞木の八の字の形でつかうこと、重心の移動で足先の方向とお腹の面が十字になるようにすること等である。
ここまではこれまで書いてきたことであるが、これに加えて更に大事な事があるのである。

それは有川定輝先生の言葉、「技を掛ける際、踵から着け」にあった。これまで言われた通り、深く考えずに踵から足をついて技を掛けていたが、それには重要な意味があることがやってわかった。
それは撞木で体を返すには、足首(足関節・踵)を十字十字に返さなければならないが、そのためには足は踵から着かないとできないからである。つまり、爪先から足をついてしまうと足は十字(撞木)に返らないのである。踵を着いて、そこからその足先が着いて、その足が他方の足と十字になるのである。

もう一つ、足が十字になることによって強力な力が手先から出てくるのである。有川先生のあの超人的な突きは、この足の十字からも出てきたと見る。
また、十字から出る力は、強力なだけでなく、引力を有する力でもあるようだ。有川先生のあの芸術的な一教の手は、相手を掴んでいないが、相手の腕とくっついているのである。これも十字の足からの力のはずである。

確かに、空突きでも、木刀の素振りでも、杖(槍)の素振りでも、この撞木(十字)の足づかいと体づかいでやれば、強力で粘性のある力が出るものである。