【第584回】  見取り稽古も大事

合気道は通常、相対で技を掛け合い、受けを取り合って稽古をするから、稽古の相手の技や体づかいなどはよくみるわけだが、周りの稽古人たちの技や動きを見ることはできない。それ故、なるべく異なる多くの相手と稽古ができるように、合気道の稽古のシステムができているわけだが、どうしても好きな相手や、やりやすい相手とやりがちになり、稽古相手が決まってしまうものだ。

長年稽古をしてきているから言えるのは、どんな初心者からでも、子供からでも学生からでも、また女性や年配者からでも学ぶことはあるということである。誰もがみんなこちらに無いもの、掛けたものを持っており、必ず何か教わるものがあるものである。例えば、技もよくわからないし、力もないのに、それでも一生懸命に技を掛け、受け身を取る姿などである。いつも自分もこのような純な気持ちに戻って稽古をしなければならないと反省させられる。

合気道は技を練って精進していくわけだが、自分で狭めてしまう小さな世界で稽古をしていっても、小さな世界での上達しかできないはずである。宇宙との一体化を目指す稽古をしなければならないわけだから、稽古の世界をより大きく変えていかなければならないだろう。

そのための一つの方法は見取り稽古である。他人の稽古を見るのである。大体人は、他人の稽古などその時間の担当の先生と演武会などでしか、じっくり見ないはずだから、見取り稽古でじっくり腰を据えて見るのである。
見方はいろいろあり、人により、レベルなどによって違うだろう。
例えば、初心者の見取り稽古では、上手い人、強い人の技、動き、体づかいなどを学ぶだろう。悪くいえば、技を盗むための見取り稽古ということになる。
高段者の見取り稽古では、己の上手くいかない原因を、同じような間違いをしている稽古人から見つけて、その稽古人から上手くいかない原因を見つけ、そしてその解決法を考えるのである。
また、初心者たちの間違いをしないように、己を戒める稽古にもなる。所謂、反面教師というやつである。

合気道の見取り稽古をしていくと、見ることの大事さや面白さがわかってくる。そうすると演武会を見てもそれまでと違う見方ができるようになる。例えば、目に見える動きや形から、見えないものを見ようとするようになる。技を掛けている稽古人の心が見えてくるようになるのである。あれは相手をやっつけようとしているとか、気おくれしているとか等である。

合気道の見取り稽古ができるようになると、他の武道を見る興味が湧いてくる筈である。そして古武道大会などを見に行くようになるだろう。古武道は合気道の先輩でもあるわけだから、学ぶことはいくらでもあるはずだ。
形や技を見るのも大事だが、演武者の心、また、その武術がつくられた背景や創始者の心を見るのも勉強になる。日本の武術は人類の文化遺産であると思うはずであり、そしてこれからも継承して欲しいと思うはずである。

他の武道を見るようになれば、武道の他の分野、例えばお能やお仕舞を見ての見取り稽古をするようになるのではないだろうか。合気道でも見えない世界の幽界の稽古をするわけだから、その為にもお能の世界を知らなければならないと思う。例えば、合気道の道場で、お能の役者になったつもりで技をつかうのである。

合気道の見取り稽古から、お能までどんどんつながっていく。まずは、合気道の見取り稽古から始めるのがいいだろう。
見取り稽古は大事である。