【第58回】 古(いにしえ)と未来をむすぶ

合気道の稽古は、先生が形を示して、その形を稽古人がパートナーと組んで繰り返す。先生が示すのは基本の形でスタンダードの技や動きである。道場には大勢の稽古人がきていて、初心者や高齢者などもいるので、先生はあまり変わった技や危険な技、複雑な技を示すことはできない。かつて本部道場の故有川師範は、たまに複雑な形や危険な技を示されることもあったが、稽古が終わったあとで、いろいろな形や技(やりかた)があるのだが、本部道場ではあまり示すことはできないと言われていた。

技には深みと厚みがなければならない。深みと厚みとは現時点での技だけではなく、古(いにしえ)とつながりがあって、形と技の起源と思想などが含まれていることであろう。形をただ自己流でやりやすいようにやれば、深みや厚みがある技にはならない。本人はいいだろうが、受けを取る相手は納得も満足もしないだろう。

基本技に正面打ち一教がある。入門してはじめにやる、最もやりやすい形であるが、高段者になってもなかなかできないような最も難しい形であるともいえる。正面打ち一教は、太刀取りからきたものといわれ、大東流合気柔術では1本取りという形で、太刀打ちを想定してやられている。それでも分かるように、本来、形や技はある必然性から派生してきたものである。現在は、刀で切られることもないので、形や技ができたときの厳しさが無くなっていくのは仕方がないであろう。しかし、本当に上達したい、上手くなりたいと思えば、技が出来た時期である古に遡っていかなければならない。

正面打ち一教をやる時には、相手が刀で切ってくると思い、切られないように相手の腕を下から押さえなければならない。この押さえが不十分だと、一教の稽古の意味が半減してしまうし、次に繋がらない。特に、正面打ち一教の裏ではこの押さえが大事であるし、これが出来ないと、入身で抜けることもできない。

稽古は、技ができた背景を知り、そこに戻り、古とむすびつけるようにしなければならない。時代が違うので当時の技と同じにはならないだろうが、その本質のエキスを逃してはまずいだろう。古とむすびついた、厚みのある技を身につけたいものである。