【第577回】
原点に帰る
合気道の稽古を20年、30年と続けていると、どうしても惰性で稽古をしてしまい勝ちである。これまでの稽古の延長線上でやってしまったり、このまま稽古を続けて行けば上達するものと思ってしまうのである。
稽古は長く続ければ上手くなるというものではない。上達するためには長年稽古をしなければならないが、それは必要条件ではあるが十分条件ではない。
上達するためには確かに時間が掛かるが、上達するような稽古をしなければ上達はない。
それはどのような稽古なのかは、上達するためには何を、どのようにしなければならないのかは、これまで500篇にわたって書いてきた。
今回は、上達のために最近とくに気になり、気づいたことを書いてみることにする。
気になるというのは、非常に基本的なことであることを見過ごして稽古をしていて、上手くいかないと嘆いている稽古人が多いことである。
基本的なことを知らなかったり、無視・軽視して稽古をしても、上達はあり得ないわけだから、それを身につけなければならないことになる。
従って、もう一度初心に戻って再スタートすること、つまり、原点に帰ることである。
原点に帰るとはどういうことなのかというと、次のような基本的な事を改めて勉強し、技の稽古で試し、会得していくということである:
- 合気道の意味を考える。合気とは何か、道とは何かを考える
- 合気道の目標、合気道の修業で目指すモノを確認する
- 合気道は武道であるということを再認識する。武道とは攻守ともに命がけの技を錬磨する厳しい修業の道であるはずである。
- 受けと取り。受けはしっかりと攻撃を加え、取りにスキがあればそのスキを見つけ、何時でも攻撃する準備ができていなければならないし、取りはいかなる受けの攻撃(打つ、掴む)にも対処し、技を収めるまで、受けの相手にスキを与えないように技と体をつかわなければならない。
- 受身の意味を考える。受け身は怪我をしないように体をつかうためと、すぐに次の取りの攻撃に対処したり、攻撃に移るためのものである。
- 技の名前と技。合気道の技には名前がついているが、その名前をもう一度よく味わってみることである。技の名前はその技の特徴を非常によく現わしているのである。従って、技はその名前のようにつかわなければならないはずである。空念仏では意味がない。
例えば、
- 「回転投げ」:回転投げは、受けを回転させて投げることからつけられた名前である。回転するためには、受けの首にある下の手を手前に引き、同時に相手の手にある上の手を前方に出さなければならない。初心者は上にある手だけでやるので受けの相手は回転せずに、押し出される格好になる。これでは「回転投げ」ではなく、「押し投げ」になってしまう。
- 「小手返し」:小手を返す技である。小手がどこなのか、返すとはどういうことなのか、どうすれば返せるのかを研究しなければならない。初心者の「小手返し」は、小手を十字に返していないで手首をいじめる手首ひねりである。因みに、小手とは手首と肘(ひじ)との間の部位である。
- 「入身投げ」:身を入れて投げる技である。己の身を相手の死角の深いところまで入り、そして転換して掛ける技である。
初心者は、十分身を入れず、相手の視覚内に立ったり、相手に腹を向けて組み合った態勢になる。
- 「一教」:一教は「一教腕抑え」ともいう。だから、相手の腕を抑えて静止、最後の収めでは、受けの腕をしっかり抑えなければならないということになる。
- 「二教」:「二教」は「二教小手回し」ともいう。小手を回して決める技である。両手で相手の小手を絞り込むように回すのである。
- 「三教」:「三教」は「小手ひねり」ともいう。相手の肘と十字になって小手を腰でもってひねるのである。
この他にも、「四教手首抑え」「五教腕伸ばし」「四方投げ」、「天地投げ」等々あるが、すべて名前に則した技をつかわなければならない。
長年稽古をしていると、これらのことはわかっているように思ってしまうのだが意外とわかっていないものなのである。もう一度初心に戻り、原点に帰ってみるのが更なる上達の道であると考える。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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