【第576回】  地道な積み重ね

合気道は技を錬磨しながら精進していく。技を錬磨するとは、宇宙の営みを見つけ、それを技に取り入れ会得していくことである。
宇宙の営みが一つでないように、技もひとつだけではない。言うなれば無限にあるはずである。従って、合気道の技は無限の宇宙の営みの組み合わせということになる。技は宇宙の営みの要素で構成されているのである。

技はある意味で、人が造る機械とも似ていると思う。機械はねじや歯車の小さな要素やエンジンなどのような大きな要素が取り付けられながら一つの機械がつくり上げられていく。より高度な機械にするためには、それらの機械要素を増やすことになるし、またより性能のいい部材をつかうことになる。
また、より高度なものにするために、素材の転換もある。それを歴史的に見てみれば、土や石→木→鉄→銅やアルミニュウム→ナノカーボンなどの新素材となる。
更に、最初は小さいものから段々と大型化し、そして最近ではより小型化しようとしている。その典型的な機械が分子機械であろう。

合気道の技にも小さな技、繊細な技がある。しかしそれは機械のねじや歯車が不具合では機械が上手く働かないように重要である。相手を投げるための大きなエンジンだけに頼って、小さな歩行や息づかいを技に取り入れていかなければ、いい技を生み出すことはできない。

機械の小さなねじや歯車のような要素の技を身につけて行くのは、地道な稽古を積み重ねていくほかないだろう。毎回、ひとつずつ10年、20年・・・と積み重ねるのである。20年、30年と積み重ねていけばダンボールぐらいの厚さになり、その積み重なりをやっと、ちょっと実感できるようになるぐらいである。

もうひつつの問題は、何をどのようにつくり上げていけばいいのかということである。技の錬磨の方向性と、技の作り方である。その方向性とやり方を間違えれば、技は身に着かないから、稽古の意味は半減してしまう。間違わないようにしなければならない。

しかし、それは開祖の教えにすべて書いてある。『合気神髄』『武産合気』を熟読し、それを技の錬磨に取り入れていけばいいだけのことである。
過って本部道場で教えられていた有川定輝先生は、超人的な技をつかわれておられたが、先生は「俺を目標にしないで、俺が目標とした開祖を思いながら稽古をすればいい。」(「有川定輝先生追悼記念誌」)と言われていたのである。有川先生は、先生の技と教えを土台にして、開祖の技と教えを追及しなければならないと言われたのだと考える。