【第560回】  理合いの稽古

合気道は老若男女、子供から高齢者まで誰でもできる武道である。また、容易に稽古を始めることができるし、基本の形も数年で覚えることができる。更に稽古を積んでいくに従って、力がついてくるし、体もできてくる。

しかし、稽古を10年、20年と続けて行くと、必ず壁にぶつかることになる。今まで培った、技や力では相手とぶつかったり、抑えられたりして、上手く相手が倒れてくれなくなるものである。だが、大抵は力不足のため上手くできなかったのだと思い、更に力をつければいいとそれまでの延長上で稽古をつづけるのである。そして稽古を続けて行けば合気道は上達すると思ってやっていくのだが、どんどん厚い壁にぶつかったり、体を壊してしまったりするのである。
何故、そう言い切れるかというと、自分が経験したからであり、また、先輩や後進にそれを見るからである。

稽古はただ稽古をすればいいということではない。上達したければ、上達するように稽古をしなければならない。
つまり簡単に云えば、惰性の稽古では上手くならないということである。上手くなるためには、理合いの稽古をしなければならないのである。

理合いの稽古とはどういう稽古かと云えば、先ず、合気道を創られた開祖の言われていることに従った、その理に合った稽古をすることである。
開祖は、「霊と体は理によって造りあげられるし、理の呼吸によって技もでてくる」といわれているのである。
また、開祖の理は、宇宙の理である。宇宙の営みや宇宙の法則に則っている宇宙万世一系の理であり、天授の真理なのである。

霊はまだよくわからないが、まず、少なくとも体は理によって造り上げていかなければならない。縦横十字に理の呼吸で造り上げていくのである。理の呼吸とは、阿吽の呼吸、イクムスビの息づかい、天地の気と天地の息に合わせた呼吸である。

この理合いで造った体を理合いでつかっていくのである。それが理合いの技ということになるだろう。

勿論、宇宙までいかなくとも、もっと身近な理合いもあり、その理合いで稽古しなければならないものもある。
例えば、剣の理合いである。合気技法に「合気道の動きは剣の理合であるともいわれているほど、その動きは剣理に則している。故に徒手における合気道の手は、剣そのものであり、常に手刀状に動作している。」(合気道技法 P.44)とある。
確かに、正面打ち一教はこの剣の理合いで動かないと技が上手くかからないはずである。
尚、この剣の動きは、先述の宇宙万世一系の理であり、天授の真理であると思う。

ある程度上達したら、惰性の稽古ではなく、理合いの稽古をしなければならない。