【第545回】  どこでも稽古を

合気道は道場のような稽古場で、指導者が示す技の形を相対で稽古しながら精進していく。従って、合気道の稽古のためには、稽古する場所と相手が必要になる。道場はその二つの条件を満たしているので、時間や労力やお金を掛けても道場に通うわけである。

道場は日常の世界とは異なる別世界であり、世俗のことを忘れて稽古に集中できるし、稽古相手や仲間がいるので、稽古を頑張ることができるのである。

誰でも、まずは、道場稽古で体を鍛え、技を練り、磨いていかなければならない。
しかし、ある時期、ある段階に入ってくると、道場稽古以外に、一人稽古をするようになるものだ。一人稽古をしているかどうかは、その人の稽古をしているのを見ればわかる。
かって、我々の先輩の多くは、道場での相対稽古以外に、一人稽古をされていたはずである。私の先輩の一人は、毎晩、木刀や杖の素振りをしたり、週末には山歩きをして、足腰を鍛えていたのである。
私もその先輩に何回か、週末の山歩きに連れていってもらった。土曜日の夜に高尾山や大山や乗鞍岳など近隣の山に登り、真夜中に、適当なところで木刀や杖を振ったりした。時には、刀で居合の真似ごともした。そしてそのまま寝ずに、翌日曜日の昼頃まで山を歩き、午後に下山というものだった。
先輩は。一回の山歩きが、一週間分の道場稽古になると云っていたが、確かに、翌日の道場では、体が軽くなり、軽快な動きができた。

山歩きのもう一つの稽古は、心の稽古にもなるということである。丑三つ時と云われる午前3時前後は、本当に、草木も動物などすべての生き物が眠り、それまでの鳴き声やざわめきが一切聞こえなくなり、所謂、死の世界のように気味悪くなるのである。
私の場合は先輩と二人だったので、心強かったわけだが、このような中に一人でいるのはよほど気持ちを強くしなければならないと思った。

この例からも、一人稽古をすることによって、道場稽古だけではできないことができたり、不十分な稽古を補完、増強することができるわけである。
二代目道主の『合気技法』や『合気道』に書かれているように、道場の稽古時間に教えることは完全ではないので、後は、各自が自主稽古でそれを補充、完遂していかなければならないのである。そのために、本部道場では、各稽古の終わりに、30分から1時間ほどの自主稽古ができる時間を取ってくれているのである。
稽古時間が終わって、自主稽古もしないで帰ってしまうのは、もったいない話であり、折角、自主稽古のために、時間と場所を提供して下さった先代吉祥丸道主や本部道場に失礼であろう。

道場での自主稽古でも不足であれば、自宅やその周辺での自主稽古をすることになる。しかし、自宅や自宅の周りに木刀や杖を振り回すところがあれば問題はないが、大体の人はその場所がないからとあきらめるようだ。
自宅での自主稽古をやるかどうかは、どれだけ自主稽古を真剣にやろうとするかに掛かっている。やろうと思えば必ず解決策が出てくるものである。先述の先輩は、勤めが終わって夕食の後、自分の家と隣の家の間の路地で、木刀と杖を毎晩振っていたのである。

私の場合は、有難いことに、マンションの屋上がつかえるので、そこで自主稽古をしている。しかし、今年いっぱいで、30年住み続けたこの住まいを移ることになるので、新しい住まいでの自主稽古にしなければならない。これまでの木刀や素振りは、天井や壁のため、今のようにはできない。だが、どうしてもこの稽古は続けなければならないと思っている。

それは木刀や杖を手にしないで、これまでと同じ動きで稽古することである。木刀は手にはないが、手に木刀を持っているように振るのである。これまでよりも、気持ちを入れ、息に合わせた動きと体づかいをしなければならないだろう。
これまでの鍛錬棒の素振りの代わりに、鉄アレーやビール瓶などをつかってやればいいと思っている。
また、杖の素振りの為に、短くした杖や棒を使ったり、または無手でやるのもいいだろう。
四股踏み、腕たせ、開脚などの柔軟運動は別に問題ないから、これまで通りにできるはずである。

次の住まいで、稽古はどこでもできることを証明してみたいと思っている。