【第532回】  開祖の教えは万人への教え

過っての武は、敵に勝ち、負けないために稽古をしたし、そのように教えていたはずである。だから、勝った者、強い者の稽古法は善であり、勝つよう、強くなるように教えた教えは良ということになる。また、勝った者、強い者のやること、言うことは善で良しとしなければならなかったし、負けたり、弱い者のやること、言う事には意味がなく、人は耳を傾けなかったと思う。

過っての武は、敵に負けないために己の稽古法は公開しなかったし、教える方も口伝とか秘伝とかいって、個々に教え、それを伝承してきて公開してこなかった。その結果、伝承が途絶えると、その教えは流派と共に途絶えてしまったのである。

過っては、恐らく想像を絶するような教えと稽古だっただろう。今、その教えや稽古の様子が文章ででも残っていれば、どんなに素晴らしいことだろうと思う。

だが、ただ一つ気になることがある。その教えや稽古のやり方などを見ることができたとしても、恐らくわれわれ凡人が取り入れることができないのではないかということである。師匠は教える非凡の弟子のために、その弟子が上達するように特別プログラムで教えたわけだから、教える弟子の性格、能力、長所、短所などなどを把握したうえで教えていたはずである。他の者がそれを見たり、教わったとしても、そのレベルに達していなかったり、体格や性格などが違えば、身につかなかったはずである。

それに対して、合気道の教え、つまり、合気道開祖の教えは、万人への教えということができるだろう。万人への教えと云うことは、初心者とか上級者、日本人と外国人、現代と過去・未来に関係なく通用する教えであるということである。つまり、誰でも上達することができる教えということである。これは時間とか空間にとらわれない宇宙の教えということになろう。

合気道の教えは、誰もが上達できる教えである。誰でも、どこでも、いつの時代の者でも上達することができる教えであるから、真の教えと言える。
勿論、上達の有無や程度は各人違う。その者の能力と努力、そして運によるからである。だから、開祖の教えが素晴らしいからといって、安心してなどいられない。信行しなければなにもならない。

合気道も、自分だけのためとか、自分の弟子とか、自分の身内や味方のために教えるのではなく、万人への教えにならなければならない。また、自分の教えが絶対であるなどと思わない事である。そう思った瞬間に、上達は止まってしまう。
一人でも多くの合気道家が、開祖の教えに従って合気道を上達し、そしてそれを後進に教えていけば、合気道が目指す、地球楽園、宇宙天国建設に少しづつ近づいていくことになるはずである。