【第519回】  相手に力(りき)ませない、がんばらせない

相対で技を練り合っていると、相手に力ませたり、がんばられて、技を決められないことがあるものだ。すると、たいがいの場合は、更に力をこめて何とか相手を倒そう、決めようとするはずである。しかし、相手も更にがんばってくるので、ますます動きが取れなくなる。

技をかける側は、相手ががんばって倒れないから悪いと、技が決まらなかったことを相手のせいにするものだ。

受けの相手を力ませたり、がんばらせる責任は、大体の場合は技をかける側にあると考えていいだろう。つまり、受けが取れないよう、取りづらいように、技をかけているのである。典型的な例は片手取り四方投げで、受けがつかんでいる手を、受けの脇が締まるように動かしてくること等である。これでは、受けの相手は受けの取りようがない。

合気道の稽古は、相手を倒すため、決めるための倒す稽古をしているのではない。受けの相手が自ずから倒れるようになるよう、技と体と心などを錬磨しているはずである。そのためには、体や力(呼吸力)や形などの基礎とそのつかい方が重要になる。合気道の体が十分にできてなかったり、呼吸力が不十分だったり、合気道の基本の形を十分に身につけてなければ、力んで相手を倒すことになる。先ずは、この修練をしなければならない。相手に力ませたり、がんばられたりするだろうが、それは仕方がないし、また後々の為になるはずである。

それでは、相手に力(りき)ませない、がんばらせないためにはどうすればよいのか、を見てみたいと思う。

先ずは、体づかいである。合気道の技は円の動きの巡り合わせといわれているから、体を円くつかわなければならない。しかし、円は複数あるし、その各々に支点がなければならない。例えば、片手取り四方投げでは、肩を支点とした手の円(肘、手首、胸鎖関節を支点にすることもできる)、軸足を支点にした足の円、腰の円などのいわゆる横の円がある。横に対して、縦の円もある。手の平を縦、横、縦と返してできる円もある。

更に、受けの相手も円の動きをする。原則的には技をかける取りとほぼ同じような動きをするはずである。というより、そうしなければならないはずである。

つまり、受けの相手が、この円の動きができない時、相手が力んだり、がんばったりすることになるわけである。これを開祖は、「他人(ひと)の仕事の邪魔をしない」といわれたのであろう。

従って、そうならないように、円の動きの巡り合わせで体をつかわなければならない。言葉を変えれば、体は縦横の十字でつかわなければならないということである。

もう一つの体のつかい方である。体を陰と陽に交互に、規則的につかわなければならないことである。規則的に足や手が交互につかわれないと、必ず相手とぶつかるか、自分の動きを止めることになるから、相手に力まれたり、がんばられたりすることになるのである。

次に、息づかいである。イクムスビの息づかいを違えても、相手をがんばらせることになる。多くの場合、息を吐いて相手を倒そうとするから、相手とぶつかってしまうのである。

自分の息だけに頼るのではなく、天地の力である「天地の息」をお借りすれば、相手にがんばろうという気持ちを無くさせてしまうものである。

相手にがんばらせないために、一番大事なことは「心」であろう。相手をやっつけよう、相手を倒そう、技を決めよう、などと思わないことである。そう思えば、その心持は受けの相手に伝わり、相手は臨戦態勢に入り、場合によっては命がけでがんばってくることになるだろう。

稽古は、「愛の心」でやらなければならない。「愛」とは、相手の気持ちや立場に立って考えたり、行動する気持ちである。自分のためだけではなく、相手のためにもなるよう、少なくとも相手の気分を害さないように、技を掛け合っていかなければならない。

相手を力ませない、がんばらせないためには、力と法則を身につけていき、相手が自ら倒れるようにしていかなければならないことになろう。