【第515回】  出来なかったことを研究する

相対での稽古時や自由時間の稽古でうまくできないことというのは、必ずといってよいほどあるだろう。二教や三教がきかないとか、入身投げや一教で相手が倒れなかったり、相手に返されてしまう、等である。とりわけ初めて稽古する相手には技がかかりにくいもので、それでも何とか倒そうと力づくでかけると、相手にますますがんばられることになる。その典型的な技(形)は二教裏であろう。

合気道を稽古していく上で大事なことは、稽古でできなかったことを研究することである。できなかったことをそのままにしておけばそれまでであり、上達はないだろう。

研究するためには、まず、できなかった事を与えてくれた相手に感謝することである。いつもいうように、問題を解くよりも、問題をつくる方が難しいからである。

例えば、稽古で二教裏が効かなかったりすることは、事実である。大事なのは、このできなかったことを認め、自分の未熟さを自覚することである。そして、更なる稽古が必要である、と痛感することである。

さらに、その問題を解決するためには、理を見つけることが大事である。できなかったことの問題はどこにあるか、どうすればその問題が解決できるか、ということである。これを、合気道的に解決するのである。

合気道的に解決するということは、科学することである。科学するとは、法則性をもつことである。もちろん法則とは、宇宙の法則である。手足を陰陽に規則的につかっていたか、体や息を十字につかっていたか、息を「イクムスビ」でつかっていたか、相手と結んでから技をかけたか、心と息ではなく力優先で技をかけてなかったか、等々である。

また、できなかったことは、たいていの場合いわゆる力不足であるから、己の力不足を再認識する必要もあるはずだ。もちろん合気道での力とは、遠心力と求心力を兼ね備え、引力のある呼吸力である。一般的には、この呼吸力がつけばつくほど、この「できなかったこと」というのが少なくなっていくことになるはずである。

合気道を何年か稽古していれば、形は知っているはずである。受けの相手も形を知っているから、その気になればがんばることもできるし、倒れないようにすることもできる。だから、受けの相手が倒れまいとがんばれば、倒したり、抑えるのが容易ではなくなるのである。

相手を倒したり、押さえるのは、本来、そう容易な事ではなく、失敗するのは当然なことである。

大事なことは、そのできなかったことがすぐできなくともよい、ということである。理を見つけ、理に則って心体をつかい、呼吸力によってやり続けていけば、いつかできるようになるはずである。それを信じ、合気道を信じ、そして自分を信じて、できなかったこともできるように研究していけばよい。