【第508回】  絶えず反省

合気道の稽古をはじめてから、もう半世紀以上にもなる。この間いろいろな事があったが、お蔭様で稽古を続けさせてもらっている。

一時は、俺はうまい、俺は強いなどと天狗になって、合気道とはこんなものかと思った時もあった。今思えば、その浅はかさ、無知に赤面するかぎりである。

長年稽古してくると、少しずつ分かってくることだが、合気道の稽古には終わりがないようである。それ故に、これでよいと思った時には、上達が止まるということになる。

合気道では宇宙や神の領域、霊や魂の世界、過去・現在・未来の超時間などを対象にするわけであり、無限の時間と空間における稽古をすることになるので、そう簡単に会得することはできないはずである。だから、たかだか数年、10数年の稽古をしたからといって、会得することなどできないのである。

合気道は、技の錬磨を通して精進し、上達していき、宇宙の法則に則った技を身につけていくことによって、宇宙の営み・条理を身につけ、宇宙と一体化しようというものである。

ということは、我々稽古人が身につけるべき技はすでに存在しているわけで、我々はその存在する技、つまり、宇宙の法則・条理・営みを見つけ、身につけ、そして、それを技で示せるようにするだけである。技は人が創作するものではなく、すでにある宇宙の心を現わすものでなければならない、と考える。

それ故、技を練る稽古において大事なことは、自分のつかった技がそういう法則に則っているか、いたかを検証し、さらに、どこがまちがっていたのか、どうしてまちがったのか、どうすればまちがわないようになるか、等を反省することである。であるから、慢心などしていることなどできないはずである。

開祖もその反省の心を忘れてはならないと、「絶えず反省の心を忘れないで鍛錬、向上することに精神を怠ってはならない」(「合気神髄」P38)といわれている。技の鍛練の際、また上達のためには、絶えず反省々々を繰り返していかなければならない、ということである。

稽古をして、反省するようになれば、稽古はさらに面白くなり、先へ進んで行くはずである。それは、道にのった稽古になったからだと考える。反省するためには、反省のための基準である「法則」を持たなければならないわけだが、それを持ったからである。道にのらなければ、真の合気の稽古にはならないので、先へ進むことはできないはずである。

道はある。合気の道は、我々を待っていてくれるのである。まずは道にのらなければならない。そして、その道を進むのである。それには、絶えず反省を繰り返す、反省の心を忘れてはいけないのである。