【第503回】  過去と結ぶ

今、世の中にあるものは、ピョコッと突然現れたのではなく、過去とのつながりがある。過去の先人が考えたり、積み重ねてきたり、改善してきたりしたものが現在にあるわけである。

合気道は開祖植芝盛平翁がつくられたが、合気道にも過去の武術、柔術、槍剣術など、いわゆる「古武道」とのつながりが大いにある。開祖が多くの古武道を修業され、会得されたこともあり、実際、合気道の形(技の形)には、一教から五教まで、剣や短刀などの武器取りなど古武道を基とした技もある。

また、武家社会の頃に殿中で攻撃されても殿様や上司に失礼のないように敵を制するための座り技や半座半立ちなどは、現在では考え出すことができない技であり、稽古法である。

先人たちは考えられるだけの技をつくり上げ、そのための稽古法を考え、磨き上げ、改善してこられた。例えば、日本最古の古武道・古武術といわれる「竹ノ内流柔術」など480年以上の歴史があり、いまだに盛んに継承されている。植芝盛平開祖も稽古された「大東流柔術」なども、人間の体をくまなく研究し、深淵なる技とその稽古法を編み出して、今も継承されているが、これは「人類の文化遺産」といえるだろう。

古武術や古武道の稽古の目的は、敵の攻撃を制し、敵を仕留める術(テクニック)を会得することであるから、合気道の稽古目的とは相容れないところがある。古武術では負ければ命を落とすことになるから、どうしても勝たねばならない。だが、合気道では、今は負けてもよいし、今できなくとも、弱くてもよいのである。道に乗れば、いつかできるようになるし、強くもなるはずだからである。

合気道の考え方や稽古の目的が古武術・古武道とは違うといっても、合気道の稽古は自由にやってよいということにはならないのである。合気道は過去の古武術・古武道と結んでいるし、つながっていなければならないと考える。

開祖も先人たちが培ってこられた古武術・古武道を土台にし、表に合気道を出すように修業しなければならない、といわれている。古武術・古武道を否定してないばかりか、勉強させてもらいなさい、といわれているはずである。

事実、古武術を知らなければ、敵の攻撃法も分からないし、先人がそれをどうようにさばいていたのかも分からない。分からなければ、合気道のわざも適当になってしまう。

例えば「半身半立ち四方投げ」であるが、古武道では座っている者の手を、刀が使えないように手を抑えにくる。だから、座っている人に気づかれないよう、見えないように横から近づいてくることになる。これをさばくのが、片手取り四方投げである。

相手が正面から来る場合には、酒肴のお膳などをささげ持って正面から近づき、前に来た瞬間にそのお膳を離して、両手を制する技となる。これが、両手取四方投げのシナリオである。

これらの技の違いをよく考えてみると、側面から座っている者の両手を取ることは不可能であるし、また、正面からただ片手を取りに行くのも理不尽であることがよくわかるだろう。

合気道は、過去に結んでいなければならない。先人たちのつくりあげた古武術・古武道に反するような理不尽なことをやってはならないだろう。過去につながっていないものは、未来にも繋がらず、いずれ消滅するし、体も壊すことになる。古武道演武会などを見せてもらったりして、先人たちからも大いに学ばなければならない、と考える。