【第501回】  他人(ひと)の仕事の邪魔をしない

合気道は技をかけ合い、受けを取り合いながら、技と心体を練り、精進していく武道である。宇宙の営みといわれる宇宙の法則を見つけ、身につけていくのである。その法則に則ってつかう技はよい技であり、上手という。

自分のかけた技がよいのか、悪いのか、どれくらいよいのかを知るのは、受けの相手がどのような受け身をとって倒れるか、であろう。技をかけて、受けの相手とぶつかったり、離れたりすることなく、相手が納得し、満足して倒れれば、よい技ということになる。

受けの相手に頑張らせたり、受けを取れなくしてしまうのは不味い技である。
少しばかり腕力や体力がついてくると、その力に頼って相手を倒そうとしがちである。持たせた手を落としたり、振り回したりして、相手を崩そうとするのである。力のない相手だったり、力に相当な差があれば、相手は崩れるかもしれないが、合気道が少し分かっている人には効かないものである。

受けの相手にがんばられてしまうのは、相手が悪いのではなく、技をかける自分が悪いのである。通常、受けは、受けを取ろう、受けでも宇宙の法則を身につけたいと思いながら受けを取っているのであって、はじめからがんばってやろうなど、誰も考えてないはずである。

それでは、なぜ技をかける際に、相手の受けにがんばらせてしまうのだろうか。
そこには原因がいろいろあるが、最大の原因は、相手を崩そう、倒そうと思うことである。この闘争本能が出てくると、息を吐き、体の末端の手を動かしたり、相手との接点に力を加えて、何とか崩そう、倒そうとすることになる。合気道は相手を倒すものではないことを、先ず自覚しなければならない。

二つ目の原因は、法則に合った体のつかい方をしていないことである。特に、足は右、左、右・・と、規則正しく陰、陽でつかわなければ、必ず相手の動きと心とにぶつかってしまう。受けの方も、基本的には、足を左右、規則正しく陰陽につかって動かなければならないわけだから、その規則的な動きが邪魔されれば、動きが阻害されることになり、体も心もぶつかってしまって、取りがさらに進もうとしても、受けにがんばられることになるのである。

三つ目の原因は、息づかいである。イクムスビの息づかいで技をかけないからである。特に、クと息を吸うところを、吐いてしまっているのである。これでは、受けとぶつかったり、弾いてしまうことになる。そうすると、受けは負けじとばかり、がんばってしまうのである。

四つ目の原因は、手足や体を十字につかわないことである。手や足や体幹を縦横十字につかっていかないと、持たせた手が離れたり、相手と間ができたり、ぶつかったりしてしまうのである。

しかしながら、通常よく見られる最大の原因は、明らかに相手が受けを取れないように手をつかってしまうことである。例えば、片手取り四方投げで、受けの手をその脇が締まるように技をかけてしまうのである。これでは、受けは動こうにも動けなくなってしまう。

いずれにしても、受けががんばらずに受けをとるためには、技をかける際に相手と結んで、その結びを切らずに一体となり、体と息を法則に則ってつかわなければならない。

これができてくれば、相手を倒そうとしなくとも、受けは自ずからこちらの円の中に入り込み、倒れてくれるようになるはずである。これが、開祖がいわれている「他人(ひと)の仕事の邪魔をしない」ということだと考える。