【第492回】  合気道の使命

稽古事を会得するためには、目的を明確にすればするほど、実現しやすいだろう。例えば、親の仇のために剣術などを学ぶ人は、常人とは違った早さと厳しさで強くなることだろう。

合気道でも、上達の速度や程度は人それぞれ違うが、大きい違いになるのは、稽古の目的をいかにはっきり持っているかということと、それをどれだけ実行するかにあるように思う。

誰でも初めの合気道の入門動機は同じようなものであり、同じ程度であろう。今さら親の仇のために命がけで稽古しようと入門する人もないことだし、せいぜい彼奴より強くなりたいとか、喧嘩に負けないようになりたいとか、人に負けないような強い精神力を身につけたい、等というところだろう。

だが、稽古を続けていると分かってくるはずだが、合気道の稽古をしても喧嘩には強くならないのである。なぜならば、合気道は喧嘩に対する術(すべ)を教えているわけでもなく、柔道のように勝負で勝つための技を教えているわけでもないからである。喧嘩に強くなりたいなら、もっと手っ取り早いものがいくらでもある。

だからといって、合気道をやっても強くなれない、ということではない。強くなれるし、もし、一生に一度あるかないかの勝負があったとしたら、勝つことができるようになるかもしれない。しかし、それには時間がかかるし、忍耐と努力も要る。

合気道でのそのような強さは、合気道の目的ではなく、稽古の結果だからである。五年や十年で得られるものではない。合気の技が身につけば、剣を持てば合気剣になり、杖を持てば合気杖になる。気形がつかえるようになれば、相手に触れなくとも、相手を制するようになれるのである。開祖をはじめとして、開祖のお弟子さんたちを思い返せば、合気道の強さがわかるだろう。

人に勝つことが目的ではないことが分かったら、己の合気道修業の目的を再考しなければならなくなるだろう。そのためには、まず合気道は何を目標とするか、つまり、合気道の使命を考えなければならない。

合気道は禊である、と開祖は事あるごとに我々に話された。宇宙、つまり、万有万物は、地上天国建設、宇宙楽園建設に向かって生成化育をしているが、その生成化育を阻止したり、乱すものを取り除いていくことが、禊ぎであり、合気道の使命である、といわれるのである。

合気道は、武道である。武とは、一般的には矛(ほこ)を止めるということになっていて、身を守るディフェンスの意味であるが、合気道ではちょっと違う。生成化育を阻止し、乱すものを取り除く禊ぎの役割をいうのである。

その禊のために、心と体を鍛え、技を身につけていくのである。これが、合気道の稽古の目的になるわけである。

この目的で稽古していけば、何しろ宇宙が応援してくれるのだから、うまくなること間違いない、と信じればよい。人間同士の小さい争いなど、馬鹿々々しくなることだろう。