【第488回】  聖典は解答のない問題集だが

私は『武産合気』と『合気神髄』を合気道の聖典と決めている。合気道を精進し、会得するためには欠かすことができないものであると共に、これ以外のものがないと思うからである。

これらの聖典は、合気道をつくられた開祖植芝盛平翁の話された言葉を記したものであるし、また、開祖ご自身が書かれたものである。
しかし、この聖典はどちらも超難解である。とりわけ開祖を知らない人、開祖と接したことがない門人には、さらに超超難解のはずである。

ありがたいことに、私は開祖の晩年に5年ほど道場に通い、開祖に接して、稽古をさせて頂き、演武を見たり、直接お話を伺ったりもしているので、この聖典を読んでいると、当時の開祖が話されたお声と重なってくるのである。当時は開祖のお話はほとんど理解できず、早くお話が終わってくれるように、足をしびれさせながら念じていた。まことに不謹慎であったものだが、不思議と開祖の姿が目に浮かび、声が耳に残っているのである。

聖典は超難解であるが、これを解読していかなければ、真の合気道の理解は無理であろうと思う。例えば、合気道の目指すモノ、宇宙との一体化、宇宙の成り立ちの一霊四魂三元八力、十字、陰陽。顕幽神界、天の呼吸・地の呼吸、等々が書かれているが、解読するのは難しいものだ。

今は便利な時代になり、インターネットで見れば、すぐに答えが得られるようになった。だが、聖典にある言葉は、インターネットでは解答してくれないし、また辞書や事典でも教えてはくれない。

しかし、聖典を何度も何度も読み直していくと、それまで解らなかった事が、ほんの少しずつではあるが解ってくる。一回読み通せば、それまで解らなかったことの一つか二つの意味がわかり、次の読み通しではさらに三つ、四つ、次には五つ、六つと、積み重なって増えていく。

また、聖典の難しさは、技の稽古で体をつかった上で読んでいかないと解らない、ということである。聖典を買って読んでも、合気道の稽古をしてない人は読んでも解らないだろうし、おそらく間違った解釈をしてしまうのではないかと思う。聖典は稽古と合わせて読まなければ、解読が困難なはずである。

聖典は難解な言葉で、見えない世界、時間を超越した次元で書かれていて、その言葉の意味するものは何か、どのようにしなければならないのか、の問題集ともいえる。われわれはその解答を出さなければならないだろう。その解答ができなければ、合気道がわからないし、精進できないからである。

その問題の解答はない。受験勉強の問題集のようには答はないのである。だから、多くの門人は聖典を購入して読み始めても、ギブアップすることになるだろう。しかしながら、何度も読み続けるうちに、聖典の中に解らないと思われる問題の解答があることが分かってくるのである。十字、陰陽、一霊四魂三元八力、また呼吸にしても、その答えは聖典の中にあるのである。

ただ、問題はその解答が読む人のレベルによってしか見つけられないこと、そして、理解できないことである。

従って、聖典を少しでも理解しようと思えば、何度も何度も繰り返して読むことと、自分の技のレベルと己自身のレベルアップをしなければならないことになるだろう。