【第457回】 取りの意味

合気道は通常、二人一組で取りと受けを交互に行う相対稽古で技を錬磨していく。取りとは、攻撃してくる受けの相手に技をかけ、倒したり、抑える側・人のことである。しかし、取りには、もう一つ意味がある。つまり相手への攻撃法という意味であり、片手取り、太刀取り、短刀取り、杖取り、等がある。

どちらの「取り」も、意味と合わないことはない。だが、特に技をかける側の「取り」はしっくりこないようで、古武道でも使っている「捕り」の字をつかってみたりした。逮捕する、捕捉するの「捕り」である。だが「捕り」は、映画やテレビでおなじみの半七捕り物帳の逮捕術のイメージが強い気がして、やはり合気道で使われている「取り」をつかうことにした。

さて、もう一つの取りの攻撃方法である。こちらが、今回のテーマである。合気道には多彩な攻撃法がある。つかんだり、打ったり、突いたりする徒手での攻撃、太刀や杖や短刀などの得物による攻撃、などである。

なぜこのように多彩な攻撃法があり、そして、それを制する技があるのかというと、先人たちはあらゆる攻撃の可能性を考え、それに対する技を捻出し、錬磨したからである、と考える。目的は敵に負けない、敵を制すること、である。古武道を見れば、よくわかるだろう。

合気道は、敵をやっつけるため、敵に勝つための武道ではないし、そのために稽古しているわけでもない。人によって稽古の目的は違うだろうが、少なくとも勝つために稽古をしてはいないはずである。人に勝つために強くなりたいのならば、他の武道やスポーツをやった方がよいだろう。それらは人に勝つための稽古、負けない稽古をし、試合などを通してレベルアップをはかっている。試合もない合気道の稽古を少しばかりやっても、勝負にならないのは自明である。

そうかといって、合気道を稽古しても強くはならない、と保証しているわけではない。稽古を積めば積むだけ、強くもなっているはずだ。だから、しっかり稽古をしていけば、いつかは相当強くなれるし、負けないようになるはずである。しかし、大事な事は、合気道では強くなること、勝負に負けないことが目的なのではなく、それは結果である、ということである。

合気道は武道であるから、武道としての強さが身につくようにならなければならない。しかし、「強さ」とは何かが分からなければ、強くはなれないだろう。これまでの「強さ」は敵に勝つ強さ、相手を制する強さであった。魄の世界の強さとは、つまり、魄の強さである。

合気道が求めている「強さ」は、魂の世界のものであるはずである。従って「強く」なるとしても、まだまだ時間はかかるようだ。そのためにも、やるべきことを順序よくやっていかなければならない。

また横道にそれてしまったが、今回のテーマであるべき「取りの攻撃方法」についても、しっかり身につけなければ、魄の世界の稽古から脱出できず、魂の世界の稽古へ入っていくのは難しいだろう。

次回は、「取りの攻撃方法とそれに対する技」を、脱線しないように書きたいと思う。