【第437回】 体の声を聴く

前回は『体が教えてくれる』を書いたが、今回はその続きとして、教えてくれる体の声を聴くということについて書いてみる。

まじめに合気の修業をしていくと、体がいろいろと教えてくれるものである。これはよいとか悪いとか、こうやりなさい、ああやりなさい、それは邪道だから、正道に戻しなさい、等々である。

まじめにやるということは、自分に負けない、つまり逃げない、諦めない、ごまかさないようにやる、ということである。また、少しでも進歩・精進するように努める、目標に向かって道を進む、等ということでもあろう。

相手を倒すことを考えてやると、体は相手を倒すための術、を教えてくれるかもしれないが、合気道の奥深い、繊細なことは教えてくれないはずである。

また、まじめにやるということは、毎日、継続してやるということでもある。たまに気が向いたときや、体調がよい時にだけやるのではない。武道におけるまじめとは、毎日の積み重ねということでもある。

毎日精進するという意味からも、体の声が聴こえるのは、相対稽古の時よりも、一人でやる自主稽古の時であろう。もちろん相対稽古の時にも大事であり、体の声を聴くようにしなければならない。

つまり、自主稽古で体の声を聴き、道場の相対稽古でそれを試し、試行錯誤しながら身につけていく、そして道場での相対稽古で、聴いた体の声を自主稽古で確認する、というのが稽古ということだろう。

だが、体の声を聴きたければ、その準備をしなければならない。まず、体の声といっても、通常のように口から発せられ、耳で捉えられる音ではない。それは、心の響きであり、感じである。体が反応した感じを、心が判断し、指示を与えてくれるのである。

体が感じるのは、いわゆる五感であるが、この感覚が鈍ければ、体の感じも鈍くなる。だから、五感を磨かなければならない。技の錬磨などの稽古によって、カスを取り除き、五感が機能するようにしなければならない。

さらに、川のせせらぎや、鳥や虫の声を聴いたりして、耳を敏感にしたり、草や木や花を見て、目を敏感にすることも大事である。敏感にするということは、自然のものと同調、同化するということであり、宇宙の響き、宇宙と一体化する準備であると考える。これが、見えないものを見、聞こえないものを聴く、ということになるだろう。

カスが取れて、自然の響きが体に入ってくるようになると、体は外的力や内的な動きが正しいかどうかの判断をするようになるものだ。相手の動きや、自分の技づかい、振る剣や杖などの微妙な体づかいの良否やアドバイスをしてくれるのである。

また、引っかかった腕はここで十字に、螺旋で返せとか、手足の陰陽を間違えているとか、息の縦横が間違ったとか、ここは弱いから鍛えなさい、等々である。

体の声は心で聴いて、心が判断したり指示するわけだが、この体と心はある方向、あるものに向かい、あるものに従って働いているようである。相手や状況や時代によって変わることがない、いわゆる、絶対という方向、モノに向かったり、従っているのである。

それは、魂というものであるはずだ。心は心変わりするが、これは、個人の意思では変わらない、宇宙の意思であり、宇宙生成化育のために働いている魂である。

この魂に向かい、従って、体と心は進もうとしているはずである。魂が納得し、満足すれば、体も心も満足するのである。心と体は魂が満足するように働きたいと願っているのであるから、魂と同化しようとするはずである。これを、魂のひれぶりというのだと思う。

魂のひれぶりができるようになれば、宇宙の言霊とも同調し、宇宙との一体化ができることになるのではないだろうか。