【第430回】 技の練磨

合気道は、技を練磨しながら精進していくものである。基本の技の形を、相対で、取りと受けを繰り返しながら稽古する。この稽古法は初心者でも上級者でも変わらないし、時代によっても、地域によっても、基本的に変わりない。

しかし、技の練磨の内容やプログラムは基本的に変わらないが、技の練磨のやり方や質は、初心者と上級者では変わってくるはずであるし、変わらなければならないだろう。

初心者の内は、基本の形を覚え、受け身を取れるようにするのが、技の練磨になる。それがある程度できるようになると、相対の相手を倒す事が、技の練磨になるだろう。何とか相手が倒れるように、技が効くように、するわけである。まだまだ力に頼ることになるから、力をつけることにもなる。力も技の内、ということなので、力をつけることもまた技の練磨ということになる。

この段階は、長く続くだろう。相手を倒すために力をつけていくことは重要なので、この時期が長く続くとも考えられるが、技の練磨のやり方を変えることができず、以前のままの力に頼る、いわゆる魄の稽古から抜け出せないでいるとも考えられる。

合気道の稽古は、魄を土台にし、魂が表に出る稽古でなければならない、といわれている。だから、それまでに身につけた力(魄)に頼らない、次の魂の稽古にならなければならない。

すると、技の練磨もこれまでの魄を養成する稽古ではなく、魂を表に出して、魂を養成する稽古にならなければならないことになる。

では、どのような技の練磨をすればよいだろうか。相対で技をかけ合って技の練磨をしていくが、力に頼る稽古では自分より力の弱い相手を倒す事はできても、自分より体力や腕力があったり、弱い相手でもがんばられたりすると、倒す事は容易ではない。だから、力で相手を倒そうとするのは限界があることになる。

ここで、それまでのやり方や考え方を180度変えなければならないのである。まず、相手を倒す対象と考えないで、自分の分身、自分の師と考えるのである。自分のかけた技の結果を、相手は見せてくれるし、教えてくれるのである。

さらに、相手を倒そうとして倒すのではなく、相手が自ら倒れるようにならなければならない。そのためには、二つの要点がある。

一つ目は、技をかける過程を間違えないことである。つまり、技をかけた過程が正しければ、その結果として相手が倒れるのである。初心者は、倒すという結果を、技をかける目的にしてしまう。そのため、そこに行く過程が粗末になり、そのため、そこにある大事なことを学ばないことになるのである。

二つ目は、力ではなく心(魂)で導き、技をかけることである。こちらの物理的な力で倒れるのではなく、自ら倒れるという事は、相手の心が体に倒れるように指示する、ということになるだろう。そして、相手の心が体に倒れるように働きかけるのは、技をかけるこちらの心ということになる。こちらの心が、相手をやっつけてやろうとか、倒してやろうと思っていると、相手の心は防戦態勢に入ってしまい、体に倒れなさいと指示する代わりに、がんばるように指示することになる。

相手の心と体が反抗的になる原因が、もう一つある。それは、法則に反した体づかい、息づかいをした場合である。練磨している技は、宇宙の条理、宇宙の法則に則っているはずである。手足、体を陰陽でつかう、手と息を十字につかう、接点から動かさない、末端ではなく中心から動かす、等などである。

この法則に反した技づかい、体づかい、動きをすると、受けの相手の力とぶつかってしまい、相手が倒れるどころか、がんばってきたり、はねかえしてくることになる。

相手が倒れずに、ぶつかってきたり反発してきたら、それはこちらの技が法則違反したことの証であり、間違った技づかい、体づかいであることになる。だから、がんばってくれて、それを教えてくれた相手に感謝である。もちろん、次回はそうならないように、研究しなければならない。

技の練磨の中心は、この宇宙の法則を一つでも多く身につけること、もう一つは、呼吸力の養成である、と考える。つまり、宇宙の法則に沿った技をつかい、相手の心を満足させるのに加えて、その技づかいで呼吸力が養成されなければならないのである。

呼吸力とは、求心力と遠心力を兼ね備えた力、すなわち「引力」である。合気道は引力の養成ともいわれるくらいだから、この引力、呼吸力がつくように技の練磨をしていかなければならない。

結論をいうと、技の練磨とは、宇宙の法則を見つけ、技に取り入れ、技を練り、心を練り、そして呼吸力、引力を養成していくことであると考える。